咀嚼
- タナッセの『人間も、所詮動物』という台詞を使った「甘い場面」を作ってみましょう。 #serif_odai http://t.co/tiJvnLzgTU
普段通りの昼下がり。
アネキウスは遍く陽光を降り注いでいる。
「今日お天気いいから、外で食べようよ」
その慈悲に預かったような快晴の中、妻がそう提案した。確かに良い天気だ。悪くない提案だろう。
「……そうだな。侍従に卓を用意させ……」
「そんなことしなくてもほら、座って食べればいいよ。ぽかぽかして気持ちいいよ、きっと」
空の晴れやかさに負けぬほどの笑顔で彼女は言う。
「ね?」
「そこまで言うのならばそうするか。たまには一興変わったものも良いだろう」
手を合わせ喜ぶ妻はとても可愛らしいと思う。
侍従に持ち運びに便利な食事を用意させる。手軽に食べられるようにと用意されたのは、葉物や肉類が挟まれたパンだった。
「ほらほら行こう行こう!」
「そう手を引っ張るな。椅子は逃げたりしないぞ」
彼女と伴を共にしてから、私を取り巻く状況は様変わりした。
私の立場も、心境も。
以前ならばこうして手を取ってくれる者などいなかった。厄介者として除け者にされるだけで、居場所などなかった。
今こうして温かさに触れられるのも、妻ありきだろう。
思わず微笑んでしまう。
私にとっての陽光は、妻なのだから。
「あ、ほらここなんていいと思う。座って座って!」
と、手頃な腰掛けを見つけたらしい。早く早くと急かされる。そんなに急いでもまだ日は陰らないというのに、慌ただしいやつだ。
「分かった分かった。ほら、茶でも飲んで落ち着いたらどうだ。はしゃぎたい気持ちも分からんではないがな」
何とか椅子に座らせ、その横に同じく腰掛ける。
なるほど、これはいい日和だ。
「松籟、風の音、鳥の囀り。風流だな。悪くない」
「やだ、タナッセなんかおっさんくさい」
聞き捨てならん言葉が出たぞ。誰が、なんだと?
「人が感慨に耽っているというのに何だその発言は。誰がおっさんだ、口を慎め。お前も淑女らしく詩の一つも嗜み……」
「はい、あーん」
目前に三角のパンが差し出された。あまりの唐突さに、一拍間が開く。
「……何の真似だ?」
「食べさせてあげようと思って。はい、お口開けてー」
「一人で食べられるわ!」
そう突っぱねると、途端に妻の頬が膨らんだ。
こういうところが可愛らしくもあるが…… 些か子供すぎるようにも思う。
先が思いやられそうだ。
結局口に半ば無理やりパンを押し込まれ、噎せながらも食事を終えた。
「うーん…… 食べたら眠くなってきちゃった…… ぽかぽかしてて……」
「呑気だな、こちらは甚大な被害だぞ……」
「ううん……」
どうやら本当に眠いのか、うつらうつらと船を漕いでいる。食べた後すぐに眠ると兎鹿になるぞ、と脅してやろうかと思った。
「はぁ…… おい、風邪をひくなよ」
「ん……」
凭れかかる妻の肩に羽織っていた布をかけてやる。
そうしているうちに、睡魔が襲ってきた。
少しばかり眠るくらいならば問題ないだろう。
モルに目配せをし、寄り添うように眠りに落ちた。
……爽やかな風が頬を撫でている。
……いや、これは。
「……」
一体どれ程寝ていたのだろう。まだ陽は煌々と輝いており、もしかしたらそれほど時間は経っていないのかもしれない。
霞む目を軽くこすり、隣を一瞥する。
風かと思っていたが、どうやら妻の髪だったらしい。さらさらと零れ落ちる髪が私の頬を撫でて行く。
「レハト」
呼びかけてもすぅすぅと軽い寝息を立てるばかりで、起きる気配はない。
ここのところ政務続きで、補佐する彼女も疲れが溜まっていたのだろう。
「……。いつもすまないな。……ありがとう」
聞こえないことをこれ幸いと、日頃の感謝を述べておく。……面と向かった方が良い事は承知しているが、些か…… あまり、慣れていない。
「このままでは、いけないな」
髪を撫で頭をそっと引き寄せる。それでも妻は起きそうにない。端正な唇からは一定の拍で吐息が漏れている。
己はどこまで卑怯なのだ、と思わず自嘲する。
「……」
彼女の唇はいつも甘いように思う。口の中でゆっくりと溶けていく砂糖菓子のようだ。
唇を離すと妻と目が合った。
「……起きていたのか」
「キスされれば、誰でも起きると…… 思うよ」
「そうか」
ふっ、と息をつき彼女を抱きしめると、殊更赤い顔で尋ねられた。
「タナッセって、こんな積極的だったっけ……?」
「違ったのなら大方お前のせいだ。……お前が悪い」
「……ばか」
そう言いながら胸に頭を押し付けてくる。子供のようだが、本当にこういうところは可愛らしいと思う。
ああ、盲愛し過ぎなことくらい理解はしている。
「もしかして、もしかしてだけどさ」
「回りくどいな。なんだ」
「タナッセ、私が寝てる時に…… キスしたりしてる、の?」
……否定はできない。
ないことは、ない。そんなにはしてないが。恐らく。
いや、どうだろうか。
というよりも、口付け以上のことをしたこともあるというかなんというか。
「だとしたらなんだ」
「ん、そういうこと好きなのかなって。思っただけ」
「……何のことだ」
ばつが悪そうに口を噤まれてしまう。逡巡しているのか、暫く俯いたあと聞き取れるか否かの声で告げた。
「キスとかは、嬉しいけど。寝てる時とかって、なんか。あの、足りないのかなって。思って……」
具体的に何が足りないのか。それを聞こうとは思わない。彼女が言いたいことに気付かないほど私も鈍くはない。
「お前が無防備に寝ているからだろう。他の者にそんな姿見せたりするなよ。……人間も、所詮動物だ。私も例外ではなく、な」
狼に食される哀れな兎鹿を思い浮かべ、そっと息を吐いた。
------------------------------------------------------------------------------
2013.10.21
アネキウスは遍く陽光を降り注いでいる。
「今日お天気いいから、外で食べようよ」
その慈悲に預かったような快晴の中、妻がそう提案した。確かに良い天気だ。悪くない提案だろう。
「……そうだな。侍従に卓を用意させ……」
「そんなことしなくてもほら、座って食べればいいよ。ぽかぽかして気持ちいいよ、きっと」
空の晴れやかさに負けぬほどの笑顔で彼女は言う。
「ね?」
「そこまで言うのならばそうするか。たまには一興変わったものも良いだろう」
手を合わせ喜ぶ妻はとても可愛らしいと思う。
侍従に持ち運びに便利な食事を用意させる。手軽に食べられるようにと用意されたのは、葉物や肉類が挟まれたパンだった。
「ほらほら行こう行こう!」
「そう手を引っ張るな。椅子は逃げたりしないぞ」
彼女と伴を共にしてから、私を取り巻く状況は様変わりした。
私の立場も、心境も。
以前ならばこうして手を取ってくれる者などいなかった。厄介者として除け者にされるだけで、居場所などなかった。
今こうして温かさに触れられるのも、妻ありきだろう。
思わず微笑んでしまう。
私にとっての陽光は、妻なのだから。
「あ、ほらここなんていいと思う。座って座って!」
と、手頃な腰掛けを見つけたらしい。早く早くと急かされる。そんなに急いでもまだ日は陰らないというのに、慌ただしいやつだ。
「分かった分かった。ほら、茶でも飲んで落ち着いたらどうだ。はしゃぎたい気持ちも分からんではないがな」
何とか椅子に座らせ、その横に同じく腰掛ける。
なるほど、これはいい日和だ。
「松籟、風の音、鳥の囀り。風流だな。悪くない」
「やだ、タナッセなんかおっさんくさい」
聞き捨てならん言葉が出たぞ。誰が、なんだと?
「人が感慨に耽っているというのに何だその発言は。誰がおっさんだ、口を慎め。お前も淑女らしく詩の一つも嗜み……」
「はい、あーん」
目前に三角のパンが差し出された。あまりの唐突さに、一拍間が開く。
「……何の真似だ?」
「食べさせてあげようと思って。はい、お口開けてー」
「一人で食べられるわ!」
そう突っぱねると、途端に妻の頬が膨らんだ。
こういうところが可愛らしくもあるが…… 些か子供すぎるようにも思う。
先が思いやられそうだ。
結局口に半ば無理やりパンを押し込まれ、噎せながらも食事を終えた。
「うーん…… 食べたら眠くなってきちゃった…… ぽかぽかしてて……」
「呑気だな、こちらは甚大な被害だぞ……」
「ううん……」
どうやら本当に眠いのか、うつらうつらと船を漕いでいる。食べた後すぐに眠ると兎鹿になるぞ、と脅してやろうかと思った。
「はぁ…… おい、風邪をひくなよ」
「ん……」
凭れかかる妻の肩に羽織っていた布をかけてやる。
そうしているうちに、睡魔が襲ってきた。
少しばかり眠るくらいならば問題ないだろう。
モルに目配せをし、寄り添うように眠りに落ちた。
……爽やかな風が頬を撫でている。
……いや、これは。
「……」
一体どれ程寝ていたのだろう。まだ陽は煌々と輝いており、もしかしたらそれほど時間は経っていないのかもしれない。
霞む目を軽くこすり、隣を一瞥する。
風かと思っていたが、どうやら妻の髪だったらしい。さらさらと零れ落ちる髪が私の頬を撫でて行く。
「レハト」
呼びかけてもすぅすぅと軽い寝息を立てるばかりで、起きる気配はない。
ここのところ政務続きで、補佐する彼女も疲れが溜まっていたのだろう。
「……。いつもすまないな。……ありがとう」
聞こえないことをこれ幸いと、日頃の感謝を述べておく。……面と向かった方が良い事は承知しているが、些か…… あまり、慣れていない。
「このままでは、いけないな」
髪を撫で頭をそっと引き寄せる。それでも妻は起きそうにない。端正な唇からは一定の拍で吐息が漏れている。
己はどこまで卑怯なのだ、と思わず自嘲する。
「……」
彼女の唇はいつも甘いように思う。口の中でゆっくりと溶けていく砂糖菓子のようだ。
唇を離すと妻と目が合った。
「……起きていたのか」
「キスされれば、誰でも起きると…… 思うよ」
「そうか」
ふっ、と息をつき彼女を抱きしめると、殊更赤い顔で尋ねられた。
「タナッセって、こんな積極的だったっけ……?」
「違ったのなら大方お前のせいだ。……お前が悪い」
「……ばか」
そう言いながら胸に頭を押し付けてくる。子供のようだが、本当にこういうところは可愛らしいと思う。
ああ、盲愛し過ぎなことくらい理解はしている。
「もしかして、もしかしてだけどさ」
「回りくどいな。なんだ」
「タナッセ、私が寝てる時に…… キスしたりしてる、の?」
……否定はできない。
ないことは、ない。そんなにはしてないが。恐らく。
いや、どうだろうか。
というよりも、口付け以上のことをしたこともあるというかなんというか。
「だとしたらなんだ」
「ん、そういうこと好きなのかなって。思っただけ」
「……何のことだ」
ばつが悪そうに口を噤まれてしまう。逡巡しているのか、暫く俯いたあと聞き取れるか否かの声で告げた。
「キスとかは、嬉しいけど。寝てる時とかって、なんか。あの、足りないのかなって。思って……」
具体的に何が足りないのか。それを聞こうとは思わない。彼女が言いたいことに気付かないほど私も鈍くはない。
「お前が無防備に寝ているからだろう。他の者にそんな姿見せたりするなよ。……人間も、所詮動物だ。私も例外ではなく、な」
狼に食される哀れな兎鹿を思い浮かべ、そっと息を吐いた。
------------------------------------------------------------------------------
2013.10.21