振り切れぬ願い
- この話は、当方作成の二次創作キット「王子様の憂鬱」のとあるルートの派生により生まれた話です。
キットのネタバレを含み、かつキットを見ていないと展開が分からないと思うので
閲覧する場合は、先にキットをご覧頂くことを推奨します。
キットDLはこちら ⇒ キットダウンロードページへ
一応簡潔に背景説明を。
こうなった経緯は、キットをご覧頂ければ幸いです。
・タナッセ愛情B
・レハト城より出奔、消息不明
・モル始終不在
一部に捏造設定がありますので、ご注意ください。展開は結構駆け足気味です。
キットのルート:反転……?→機会を待つ→刺さない
――失踪より一年。回想。
……まだ、探し続けるつもり?
……ああ。
ヴァイルの様子から、レハトの捜索は芳しくないことが窺えた。
あの日、彼女が城を逃げ出してからもうすぐ一年となる。
どれだけ探そうと、彼女の消息は掴めないままだ。
あの日渡すはずだった指輪は、レハトに渡ることはなかった。
……きっと、これから先どんなに探しても彼女は見つからないだろう。
その後、もう一人の寵愛者を見た者はいない。
------------------------------------------------------------------------------
――失踪より三年。現在。
未だ、私は彼女を探し続けている。
王の体裁を気にしてか、レハトの表立った捜索は打ち切られる事となった。
しかし、個人的な協力は惜しまないと言われ、今でも情報収集は続けられている。
幾つかの目撃情報があり、その度私はその地に赴いたが、彼女が見つかることはなかった。
失踪から三年が経過したこともあり、今や彼女は過去の人物として扱われるだけとなっている。
過去の人物に縋る、過去の王子。寵愛者に逃げ出された哀れな過去人。
そう揶揄されることも決して少なくはない。
それでも、私は諦めることができなかった。この事態を招いたのは、自分の失態だ。
もう一度会えるならば、謝罪したい。
彼女を探すことも、彼女へのせめてもの贖罪だった。
------------------------------------------------------------------------------
レハトに関する情報も減ってきていた中、ヴァイル……現国王陛下より呼び出しが掛かった。
玉座の間に足を踏み入れた途端に、重圧感が胸に圧し掛かる。
今なお、私はこの空間に慣れてはいない。
「お呼びですか、陛下」
「いいよ、俺の前でそんな畏まらなくても」
「……臣下にそのような態度は如何なものかと思いますが」
ヴァイルは相変わらずだ。
普段は王らしく振舞っているものの、私の前では未分化の子供時代と何ら変わらない。
「だからいいって。そんな言い回しされると返答面倒だから」
「……お前も王なのだから、少しは賢明にしたらどうなのだ」
ヴァイルが侍従を下がらせたこともあり、以前のような口調に戻す。
それまでの立場とは違うためなのか、どうもヴァイルは苦手だ。
そう思案していると、ヴァイルが重々しく口を開いた。
「レハトが、見つかったって」
「…………何?」
目撃情報なら幾つもあった。どれも彼女に辿り付くものではなかったが。
今回もまたそういう類の、所謂『外れ』なのだろうか。
いや、手掛かりがない今は少しの情報でも重要だ。
「レハトが?一体どこで」
------------------------------------------------------------------------------
聞いたこともない辺境の地だった。
王城フィアカントから遥か西南。ディットンよりも手前に位置するという。
鹿車を進め、幾ばくか日が変わり到着する。
地図にも載らないような小さな村。ここにレハトがいるというのか。
「今回もまた……」
過るのは不安だ。
何度期待し、裏切られたのか。数えることはできない。
そんな不安は振り払うよう自分に言い聞かせる。
彼女を、探さなければ。
------------------------------------------------------------------------------
程なくして、小さな民家が視界に入った。
ヴァイルから託された地図を見る限り、レハトが目撃されたのはこの辺りのようだ。
元々、この村自体さほど大きくはないのだろう。数える程しかない民家を探す事は容易だった。
地図を懐に仕舞い、民家へ向かう。
ここに彼女がいる確証は、ない。あくまで付近で目撃されたに過ぎない。
そもそも目撃されたこと自体、信憑性の薄い情報でしかなかった。
民家まであと僅か、という所で扉がゆっくりと開いた。
息が詰まる感覚に陥る。期待からなのか、不安からなのか。胸の鼓動が煩いほどに聞こえた。
白い肌。細い腕。長い間切っていないのであろう、亜麻色の髪。
扉から出てきたのは、そんな容姿の女性だった。
とても歳相応とは言えない、痩せこけた姿。
病的なまでに白い肌が、彼女の生活を物語っていた。
最後に見た彼女と、一致する箇所はない。
その、亜麻色の髪を除いては。
女性が徐にこちらを振り向く。と、同時に手に持っていた如雨露が滑り落ちた。
「タナッ……セ……?」
金属が地面に跳ね返る音の中、それは、酷く懐かしい声だった。
------------------------------------------------------------------------------
落とした如雨露には目もくれず、彼女は身を翻す。
「レハト!」
以前であれば、それこそ未分化の時分であれば。
私は、彼女に追い付くことなど到底出来なかったであろう。
しかし、今や往時を偲ぶ事は意味を為していなかった。
彼女の足取りは以前とは違い、傍から見ても覚束ない。
「レハト、待て!……レハト!」
薄暗く、人気のない通りで漸く彼女の腕を捉える。
腕を掴んだ時の、余りに細さに思わず絶句した。
「いや、放して!」
「やっと見つけんだ!離す訳があるか!」
額の徴を隠す為なのか、彼女はフードを目深く被っていた。
体を引き寄せフードを掴み、一気に前髪ごとたくし上げる。
すると、額に現れたのは寵愛者たる証の淡く光る選定印。
彼女がレハトであるという、確固たる証拠だった。
体を捩り何とか腕を振り解こうとしているが、その力は弱く頼りない。
幾ばくかして振り解けないと理解したのか、突如彼女の体から力が抜けた。
「お前ちゃんと食事は摂って――」
「何で、探すのよ」
私の発言を遮るようにレハトが言う。
「何で、ここにいるのよ!」
こちらを見る目付きは、出会った時のような、憎悪に満ちたそれだった。
------------------------------------------------------------------------------
「……何で、何で今更。ねぇ、何で、何でよ」
真正面から強く私を見つめそう問うてくる。
「お前が城を逃げ出したあの日からずっと探し続けていた。今更も何もあるか」
「よく、死人を探す気になるわね」
「それは……」
――――お相手があの王子様では起こるべくして――――
――――寵愛者様は己の不幸を嘆かれ身投げをしたと――――
――――どこかで寵愛者様と思しきご遺体が発見されたとか――――
レハトが失踪してから一年。
彼女の行方について、城内で様々な憶測が飛び交う事となった。
実しやかに囁かれるそれらの噂は、やがて城内に留まらず近隣都市にも露見し始めた。
かつての寵愛者。神に見放された寵愛者。王にもなれず、今や姿すら拝めぬ哀れな寵愛者。
いつからか彼女は、人々の心無い言葉によりその存在を消されていった。
この村にも、その噂は少なからず届いているのだろう。
彼女がその噂を耳にし、どんな気持ちで日々を過ごしていたのか。
計り知れない苦しみと悲しみの中、どれだけの苦痛を味わってきたのか。
私には何一つ分からなかった。
------------------------------------------------------------------------------
「どうせ、あなたも信じたのでしょう?その噂を。私が死んだと」
「噂は所詮憶測に過ぎん。信じていないからこそこうして探していた」
そう答えたものの、内心では私も彼女が神の国へ迎えられたものだと思っていた。
探すことが贖罪、とはよく言ったものだ。己の都合のいい弁解に反吐が出そうになった。
「そう。ならもう満足したでしょう?」
「……こんなうらぶれた私を連れて帰った所で、あなたの得にはならない」
「あなたの嫌いな貴族達に恰好の餌を撒くだけ。だから帰って。二度と来ないで」
矢継ぎ早にそう言うレハトの顔は、苦渋に満ちていた。
私は、今どんな顔をしているのだろう。どんな顔で、何を彼女に言えばいいのだろう。
「別に、嫌いじゃなかった」
出し抜けに彼女がそう言った。言葉の意味がよく分からない。
瞳を逸らしどこか遠くを見つめて、彼女はぽつぽつと言葉を溢した。
「今だってあなたの事は嫌いじゃない。探してくれて嬉しかった」
「それならば……」
「でも、それとこれとは話が別よ」
髪と同じ、亜麻色の瞳が再びゆっくりとこちらに向けられた。
大きな瞳が一瞬揺らいだように見えたのは、私の気のせいだろうか。
「恋人に自ら手を掛け、処断を恐れるあまり城から逃げ出し、今や噂に葬られた寵愛者」
「そんな私を連れ帰れば、あなたは何と言われる?」
「……それ以前に、私にはあなたの傍にいる資格なんて……ないのよ」
自嘲気味に言って、彼女は薄く笑った。
------------------------------------------------------------------------------
レハトに殺されかけたあの日、私はそのことを国王へ告発しなかった。
故に、レハトが城に戻ろうと処断が下される訳ではない。
恐らく、彼女が本当に恐れているのは自らへの処断ではないのだろう。
「城が嫌ならディットンでも、それこそここでもいい」
そう言い彼女を軽く抱きしめると、レハトが小さく言った。
「そういうことじゃないのよ、タナッセ」
「私への揶揄や評判など気にするな。元よりないも同じだ」
「……私が、納得できないのよ」
吐き捨てるように言う。僅かに私の服を掴む力が強まった気がした。
「一度あなたを殺しかけた私が、再び幸せを掴むなんて赦されない。赦されてはいけない」
「それは、私も同じだろう……」
蘇るのはあの忌々しい記憶だ。
青白い肌に浅い呼吸。異様なほどに冷え切りぴくりとも動かない体。
死ぬ寸前までレハトを追い込んだのは他でもないこの私だ。
赦されてはいけない、と思った。決して、赦されるべきではない、と。
そんな私を赦したのは、殺されかけたはずのレハトだった。
胸に残る蟠りを払うように、息を吐き出し真正面から彼女の瞳を見る。
今度は、私が言わなければならない。
「戻って来て欲しい、レハト。今でも、いやこれからも愛している」
「もう一度お前と共に歩みたい。ずっと、伝えられなくてすまなかった」
こちらを覗く瞳が不安げに揺らいだ。今度はきっと、私の気のせいではないだろう。
------------------------------------------------------------------------------
「……い……に、か…………」
視線が下を向き、先程よりも強い力で服が掴まれた。
彼女が何と言ったのかうまく聞き取れない。
「レハト?」
「ずっと……」
「本当は、ずっと一緒にいたかった」
それは、彼女の虚勢が音を立てて崩れた瞬間だった。
視線がこちらに戻される。彼女が慟哭する姿を見るのは初めてだった。
レハトの瞳から溢れる涙が服に濃い色を落とす。
嗚咽を漏らしながら、途切れ途切れに彼女の口から言葉が紡がれた。
「本当は、あなたのこと嫌いじゃないのに、愛してくれてると知っていたのに」
「分かってたのに、言葉なんて無くても、いつも私を見ていてくれたと」
「なのに、自分勝手な想いで、あなたを傷つけてしまった」
「あの日、あなたを傷つけてしまったから、本当は死のうと思ったの」
「だけど怖くて、いなくなるのが怖くて、あなたを殺そうとしたのに、私は……」
「もういい」
これ以上、彼女の言葉を聞くことは私には無理だった。
レハトの体を強く抱きしめる。もう彼女が抵抗することはなかった。
------------------------------------------------------------------------------
「ごめんなさい」
謝らないでくれ。お前は悪くないのに。何一つ、お前に言ってやれなかった私が悪いのに。
ここまでお前を追い込んだのは、この私なのに。
「ごめん、なさい」
「レハト、もういい。もういいから。もう謝るな」
「で、も……ごめんなさい、タナッセごめんなさい。今まで、ごめんなさい……」
腕の中で彼女が幾度もごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す。
そんな姿を見たくて探していた訳ではない。ただ、私は。
「もう泣くな。私は何とも思っていないぞ。……だから、泣くな」
「ごめんね、タナッセ。ごめんね。ほんとは、一緒にいたかったのに」
「これから先共にいればいいだろう。だからもう泣かないでくれ」
潤んだ瞳に自分の姿が映った。愛おしくて恋しくて。
自分の心の中がこんなにも彼女で占められているとは思わなかった。
あの日から。レハトに告白されたあの日から、私の心は何一つ変わっていない。
「レハト、愛している。また、共に暮らしてはくれないか」
「私なんかでいいの?こんな私なんかで、本当にいいの?」
答えはとうの昔に決まっている。
「ああ」
ずっと見たかった笑顔が、そこにあった。
------------------------------------------------------------------------------
------------------------------------------------------------------------------
――再会より二年。ディットンにて。
再会を果たしてから一年。私とレハトは何とか結婚……再婚まで漕ぎ着ける事が出来た。
ヴァイルの取り計らいによって、私はレハトの住んでいた辺境の村。
その地の領主を任せられる事となった。
もちろん、隣にはレハトがいる。……私を支える妻として。
最初こそ遠慮や戸惑いがあったものの、現在では以前のように自然に振る舞えている。
互いに三年も離れていたことが嘘のようだった。
「タナッセ」
腰掛けているソファーの後ろからレハトの顔が覗いた。
「ん、なんだ」
「ふふ、なんでもない」
レハトはよく笑う。
その笑顔を自分だけに、他の誰でもない私だけに見せてくれればよいのに。
そんなことを願ってしまうほど、彼女が愛おしい。
「……?どうしたの?」
「いや……お前は可愛いなと思ってな」
レハトの頬が一瞬で朱に染まる。そのまま居心地悪そうに俯いてしまった。
そういうところが可愛いというのに。
引き寄せて髪を少し乱暴に撫でてやると、するりと逃げられてしまった。
私から僅かに離れた位置で、柱の陰に隠れながらレハトが口を開いた。
「ば……」
「ば?」
「タナッセのバカ」
私は、幸せ者だ。
――――あの日渡すはずだった指輪は、今も彼女の指で輝いている。
――私と同じ、蒼い色を宿して。
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2012.2.22
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もうちょっと続き。甘いだけですたぶん。激しくタナッセの性格が迷子。
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「全く、そんなところに隠れてないで出てこい」
「やだ」
「お前は子供か」
駄々を捏ねる彼女は可愛らしい。
……我ながら、レハトを盲愛し過ぎていると自覚はしている。
自覚したところでどうにかなる訳ではないのだが。
「困ったお姫様だなお前は」
レハトが駄々を捏ねて中々出てこない理由は分かっている。
ふっと息をつき、ソファーから徐に立ち上がる。
さてさて、駄々っ子お姫様を迎えに行かねば。
「ほら、いつまでいるつもりだ。そこで夜を明かす気か?」
「……違うもん」
出てこない理由なんて分かっているさ。
思わずくつくつと喉から笑いが漏れてしまった。
「本当に子供だなお前は」
彼女の膝の下と背中に腕を回す。
そのままひょいと体を持ち上げる。相変わらずレハトは軽い。
これは以前にも彼女にしたことがある。
そして、最近やたらにレハトがして欲しいと頼んでくることだ。
いわゆる、お姫様抱っこを。
「ご期待には添えたかな?お姫様」
「……私のことバカにしてるでしょ」
「いえいえ、大真面目でございますよ。お姫様」
茶番が可笑しくて思わず笑みが零れる。
レハトが満更でもない顔をするのが嬉しい。
抱き上げたままソファーまで彼女を連れて行く。
「そもそもお前が頼んできたんだろうに」
「…………頼んでないもん」
「おやおや、それは失礼致しました」
要望通りに下ろしてやると、少し残念そうな顔をされた。
抱っこして欲しいなら素直にそう言えばよいのに、変な所で頑固な奴だ。
「……タナッセ変な顔してる」
「変な顔?」
おっと。私は今どんな顔をしているのだろうか。
手鏡は持ち合わせていない。どうせ締まりのない顔なのだろうな、とは思う。
「駄々っ子が一人いれば苦労で顔も変になるさ」
「やっぱりバカにしてるでしょ」
「どうだろうな?」
頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
何だかごにょごにょと言ってるがこの際無視だ。
「子ども扱いしてる」
「お気に召さないか。私から見たらお前はまだ子供だけどな」
「絶対バカにしてる」
これ以上からかうと後の報復が恐ろしいのでやめてやろう。
「冗談だ。お前が子供じゃない事くらいちゃんと分かってるさ」
そういってレハトを引き寄せると、何の抵抗もなく腕に収まってしまった。珍しい。
その様子が可笑しくて可愛くてどうしようもないくらいに愛しい。
額にかかっていた髪を上げ、そこに軽く口付ける。
くすぐったいと言ってレハトが身じろぎした。
その様子ですらとても可愛いと思ってしまう。
どちらかと言えば、バカは私の方だろう。……いや、どちらではなく私がバカなのか。
「タナッセってさ」
「なんだ」
「……そんな人だったっけ」
何のことだろうか。聞き返すと思いもよらぬ言葉が返ってきた。
「だから、そんなに抱きしめたり、口付けしたりする人だっけ」
「違ったのなら大方お前のせいだ」
「……もう知らない」
そう言ってレハトが噛み付くように口付けてくる。
ああ、何度でも言ってやろう。
私は世界で一番幸せ者だ。お前を愛している、と。
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2012.2.22
……まだ、探し続けるつもり?
……ああ。
ヴァイルの様子から、レハトの捜索は芳しくないことが窺えた。
あの日、彼女が城を逃げ出してからもうすぐ一年となる。
どれだけ探そうと、彼女の消息は掴めないままだ。
あの日渡すはずだった指輪は、レハトに渡ることはなかった。
……きっと、これから先どんなに探しても彼女は見つからないだろう。
その後、もう一人の寵愛者を見た者はいない。
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――失踪より三年。現在。
未だ、私は彼女を探し続けている。
王の体裁を気にしてか、レハトの表立った捜索は打ち切られる事となった。
しかし、個人的な協力は惜しまないと言われ、今でも情報収集は続けられている。
幾つかの目撃情報があり、その度私はその地に赴いたが、彼女が見つかることはなかった。
失踪から三年が経過したこともあり、今や彼女は過去の人物として扱われるだけとなっている。
過去の人物に縋る、過去の王子。寵愛者に逃げ出された哀れな過去人。
そう揶揄されることも決して少なくはない。
それでも、私は諦めることができなかった。この事態を招いたのは、自分の失態だ。
もう一度会えるならば、謝罪したい。
彼女を探すことも、彼女へのせめてもの贖罪だった。
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レハトに関する情報も減ってきていた中、ヴァイル……現国王陛下より呼び出しが掛かった。
玉座の間に足を踏み入れた途端に、重圧感が胸に圧し掛かる。
今なお、私はこの空間に慣れてはいない。
「お呼びですか、陛下」
「いいよ、俺の前でそんな畏まらなくても」
「……臣下にそのような態度は如何なものかと思いますが」
ヴァイルは相変わらずだ。
普段は王らしく振舞っているものの、私の前では未分化の子供時代と何ら変わらない。
「だからいいって。そんな言い回しされると返答面倒だから」
「……お前も王なのだから、少しは賢明にしたらどうなのだ」
ヴァイルが侍従を下がらせたこともあり、以前のような口調に戻す。
それまでの立場とは違うためなのか、どうもヴァイルは苦手だ。
そう思案していると、ヴァイルが重々しく口を開いた。
「レハトが、見つかったって」
「…………何?」
目撃情報なら幾つもあった。どれも彼女に辿り付くものではなかったが。
今回もまたそういう類の、所謂『外れ』なのだろうか。
いや、手掛かりがない今は少しの情報でも重要だ。
「レハトが?一体どこで」
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聞いたこともない辺境の地だった。
王城フィアカントから遥か西南。ディットンよりも手前に位置するという。
鹿車を進め、幾ばくか日が変わり到着する。
地図にも載らないような小さな村。ここにレハトがいるというのか。
「今回もまた……」
過るのは不安だ。
何度期待し、裏切られたのか。数えることはできない。
そんな不安は振り払うよう自分に言い聞かせる。
彼女を、探さなければ。
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程なくして、小さな民家が視界に入った。
ヴァイルから託された地図を見る限り、レハトが目撃されたのはこの辺りのようだ。
元々、この村自体さほど大きくはないのだろう。数える程しかない民家を探す事は容易だった。
地図を懐に仕舞い、民家へ向かう。
ここに彼女がいる確証は、ない。あくまで付近で目撃されたに過ぎない。
そもそも目撃されたこと自体、信憑性の薄い情報でしかなかった。
民家まであと僅か、という所で扉がゆっくりと開いた。
息が詰まる感覚に陥る。期待からなのか、不安からなのか。胸の鼓動が煩いほどに聞こえた。
白い肌。細い腕。長い間切っていないのであろう、亜麻色の髪。
扉から出てきたのは、そんな容姿の女性だった。
とても歳相応とは言えない、痩せこけた姿。
病的なまでに白い肌が、彼女の生活を物語っていた。
最後に見た彼女と、一致する箇所はない。
その、亜麻色の髪を除いては。
女性が徐にこちらを振り向く。と、同時に手に持っていた如雨露が滑り落ちた。
「タナッ……セ……?」
金属が地面に跳ね返る音の中、それは、酷く懐かしい声だった。
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落とした如雨露には目もくれず、彼女は身を翻す。
「レハト!」
以前であれば、それこそ未分化の時分であれば。
私は、彼女に追い付くことなど到底出来なかったであろう。
しかし、今や往時を偲ぶ事は意味を為していなかった。
彼女の足取りは以前とは違い、傍から見ても覚束ない。
「レハト、待て!……レハト!」
薄暗く、人気のない通りで漸く彼女の腕を捉える。
腕を掴んだ時の、余りに細さに思わず絶句した。
「いや、放して!」
「やっと見つけんだ!離す訳があるか!」
額の徴を隠す為なのか、彼女はフードを目深く被っていた。
体を引き寄せフードを掴み、一気に前髪ごとたくし上げる。
すると、額に現れたのは寵愛者たる証の淡く光る選定印。
彼女がレハトであるという、確固たる証拠だった。
体を捩り何とか腕を振り解こうとしているが、その力は弱く頼りない。
幾ばくかして振り解けないと理解したのか、突如彼女の体から力が抜けた。
「お前ちゃんと食事は摂って――」
「何で、探すのよ」
私の発言を遮るようにレハトが言う。
「何で、ここにいるのよ!」
こちらを見る目付きは、出会った時のような、憎悪に満ちたそれだった。
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「……何で、何で今更。ねぇ、何で、何でよ」
真正面から強く私を見つめそう問うてくる。
「お前が城を逃げ出したあの日からずっと探し続けていた。今更も何もあるか」
「よく、死人を探す気になるわね」
「それは……」
――――お相手があの王子様では起こるべくして――――
――――寵愛者様は己の不幸を嘆かれ身投げをしたと――――
――――どこかで寵愛者様と思しきご遺体が発見されたとか――――
レハトが失踪してから一年。
彼女の行方について、城内で様々な憶測が飛び交う事となった。
実しやかに囁かれるそれらの噂は、やがて城内に留まらず近隣都市にも露見し始めた。
かつての寵愛者。神に見放された寵愛者。王にもなれず、今や姿すら拝めぬ哀れな寵愛者。
いつからか彼女は、人々の心無い言葉によりその存在を消されていった。
この村にも、その噂は少なからず届いているのだろう。
彼女がその噂を耳にし、どんな気持ちで日々を過ごしていたのか。
計り知れない苦しみと悲しみの中、どれだけの苦痛を味わってきたのか。
私には何一つ分からなかった。
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「どうせ、あなたも信じたのでしょう?その噂を。私が死んだと」
「噂は所詮憶測に過ぎん。信じていないからこそこうして探していた」
そう答えたものの、内心では私も彼女が神の国へ迎えられたものだと思っていた。
探すことが贖罪、とはよく言ったものだ。己の都合のいい弁解に反吐が出そうになった。
「そう。ならもう満足したでしょう?」
「……こんなうらぶれた私を連れて帰った所で、あなたの得にはならない」
「あなたの嫌いな貴族達に恰好の餌を撒くだけ。だから帰って。二度と来ないで」
矢継ぎ早にそう言うレハトの顔は、苦渋に満ちていた。
私は、今どんな顔をしているのだろう。どんな顔で、何を彼女に言えばいいのだろう。
「別に、嫌いじゃなかった」
出し抜けに彼女がそう言った。言葉の意味がよく分からない。
瞳を逸らしどこか遠くを見つめて、彼女はぽつぽつと言葉を溢した。
「今だってあなたの事は嫌いじゃない。探してくれて嬉しかった」
「それならば……」
「でも、それとこれとは話が別よ」
髪と同じ、亜麻色の瞳が再びゆっくりとこちらに向けられた。
大きな瞳が一瞬揺らいだように見えたのは、私の気のせいだろうか。
「恋人に自ら手を掛け、処断を恐れるあまり城から逃げ出し、今や噂に葬られた寵愛者」
「そんな私を連れ帰れば、あなたは何と言われる?」
「……それ以前に、私にはあなたの傍にいる資格なんて……ないのよ」
自嘲気味に言って、彼女は薄く笑った。
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レハトに殺されかけたあの日、私はそのことを国王へ告発しなかった。
故に、レハトが城に戻ろうと処断が下される訳ではない。
恐らく、彼女が本当に恐れているのは自らへの処断ではないのだろう。
「城が嫌ならディットンでも、それこそここでもいい」
そう言い彼女を軽く抱きしめると、レハトが小さく言った。
「そういうことじゃないのよ、タナッセ」
「私への揶揄や評判など気にするな。元よりないも同じだ」
「……私が、納得できないのよ」
吐き捨てるように言う。僅かに私の服を掴む力が強まった気がした。
「一度あなたを殺しかけた私が、再び幸せを掴むなんて赦されない。赦されてはいけない」
「それは、私も同じだろう……」
蘇るのはあの忌々しい記憶だ。
青白い肌に浅い呼吸。異様なほどに冷え切りぴくりとも動かない体。
死ぬ寸前までレハトを追い込んだのは他でもないこの私だ。
赦されてはいけない、と思った。決して、赦されるべきではない、と。
そんな私を赦したのは、殺されかけたはずのレハトだった。
胸に残る蟠りを払うように、息を吐き出し真正面から彼女の瞳を見る。
今度は、私が言わなければならない。
「戻って来て欲しい、レハト。今でも、いやこれからも愛している」
「もう一度お前と共に歩みたい。ずっと、伝えられなくてすまなかった」
こちらを覗く瞳が不安げに揺らいだ。今度はきっと、私の気のせいではないだろう。
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「……い……に、か…………」
視線が下を向き、先程よりも強い力で服が掴まれた。
彼女が何と言ったのかうまく聞き取れない。
「レハト?」
「ずっと……」
「本当は、ずっと一緒にいたかった」
それは、彼女の虚勢が音を立てて崩れた瞬間だった。
視線がこちらに戻される。彼女が慟哭する姿を見るのは初めてだった。
レハトの瞳から溢れる涙が服に濃い色を落とす。
嗚咽を漏らしながら、途切れ途切れに彼女の口から言葉が紡がれた。
「本当は、あなたのこと嫌いじゃないのに、愛してくれてると知っていたのに」
「分かってたのに、言葉なんて無くても、いつも私を見ていてくれたと」
「なのに、自分勝手な想いで、あなたを傷つけてしまった」
「あの日、あなたを傷つけてしまったから、本当は死のうと思ったの」
「だけど怖くて、いなくなるのが怖くて、あなたを殺そうとしたのに、私は……」
「もういい」
これ以上、彼女の言葉を聞くことは私には無理だった。
レハトの体を強く抱きしめる。もう彼女が抵抗することはなかった。
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「ごめんなさい」
謝らないでくれ。お前は悪くないのに。何一つ、お前に言ってやれなかった私が悪いのに。
ここまでお前を追い込んだのは、この私なのに。
「ごめん、なさい」
「レハト、もういい。もういいから。もう謝るな」
「で、も……ごめんなさい、タナッセごめんなさい。今まで、ごめんなさい……」
腕の中で彼女が幾度もごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す。
そんな姿を見たくて探していた訳ではない。ただ、私は。
「もう泣くな。私は何とも思っていないぞ。……だから、泣くな」
「ごめんね、タナッセ。ごめんね。ほんとは、一緒にいたかったのに」
「これから先共にいればいいだろう。だからもう泣かないでくれ」
潤んだ瞳に自分の姿が映った。愛おしくて恋しくて。
自分の心の中がこんなにも彼女で占められているとは思わなかった。
あの日から。レハトに告白されたあの日から、私の心は何一つ変わっていない。
「レハト、愛している。また、共に暮らしてはくれないか」
「私なんかでいいの?こんな私なんかで、本当にいいの?」
答えはとうの昔に決まっている。
「ああ」
ずっと見たかった笑顔が、そこにあった。
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――再会より二年。ディットンにて。
再会を果たしてから一年。私とレハトは何とか結婚……再婚まで漕ぎ着ける事が出来た。
ヴァイルの取り計らいによって、私はレハトの住んでいた辺境の村。
その地の領主を任せられる事となった。
もちろん、隣にはレハトがいる。……私を支える妻として。
最初こそ遠慮や戸惑いがあったものの、現在では以前のように自然に振る舞えている。
互いに三年も離れていたことが嘘のようだった。
「タナッセ」
腰掛けているソファーの後ろからレハトの顔が覗いた。
「ん、なんだ」
「ふふ、なんでもない」
レハトはよく笑う。
その笑顔を自分だけに、他の誰でもない私だけに見せてくれればよいのに。
そんなことを願ってしまうほど、彼女が愛おしい。
「……?どうしたの?」
「いや……お前は可愛いなと思ってな」
レハトの頬が一瞬で朱に染まる。そのまま居心地悪そうに俯いてしまった。
そういうところが可愛いというのに。
引き寄せて髪を少し乱暴に撫でてやると、するりと逃げられてしまった。
私から僅かに離れた位置で、柱の陰に隠れながらレハトが口を開いた。
「ば……」
「ば?」
「タナッセのバカ」
私は、幸せ者だ。
――――あの日渡すはずだった指輪は、今も彼女の指で輝いている。
――私と同じ、蒼い色を宿して。
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2012.2.22
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もうちょっと続き。甘いだけですたぶん。激しくタナッセの性格が迷子。
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「全く、そんなところに隠れてないで出てこい」
「やだ」
「お前は子供か」
駄々を捏ねる彼女は可愛らしい。
……我ながら、レハトを盲愛し過ぎていると自覚はしている。
自覚したところでどうにかなる訳ではないのだが。
「困ったお姫様だなお前は」
レハトが駄々を捏ねて中々出てこない理由は分かっている。
ふっと息をつき、ソファーから徐に立ち上がる。
さてさて、駄々っ子お姫様を迎えに行かねば。
「ほら、いつまでいるつもりだ。そこで夜を明かす気か?」
「……違うもん」
出てこない理由なんて分かっているさ。
思わずくつくつと喉から笑いが漏れてしまった。
「本当に子供だなお前は」
彼女の膝の下と背中に腕を回す。
そのままひょいと体を持ち上げる。相変わらずレハトは軽い。
これは以前にも彼女にしたことがある。
そして、最近やたらにレハトがして欲しいと頼んでくることだ。
いわゆる、お姫様抱っこを。
「ご期待には添えたかな?お姫様」
「……私のことバカにしてるでしょ」
「いえいえ、大真面目でございますよ。お姫様」
茶番が可笑しくて思わず笑みが零れる。
レハトが満更でもない顔をするのが嬉しい。
抱き上げたままソファーまで彼女を連れて行く。
「そもそもお前が頼んできたんだろうに」
「…………頼んでないもん」
「おやおや、それは失礼致しました」
要望通りに下ろしてやると、少し残念そうな顔をされた。
抱っこして欲しいなら素直にそう言えばよいのに、変な所で頑固な奴だ。
「……タナッセ変な顔してる」
「変な顔?」
おっと。私は今どんな顔をしているのだろうか。
手鏡は持ち合わせていない。どうせ締まりのない顔なのだろうな、とは思う。
「駄々っ子が一人いれば苦労で顔も変になるさ」
「やっぱりバカにしてるでしょ」
「どうだろうな?」
頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
何だかごにょごにょと言ってるがこの際無視だ。
「子ども扱いしてる」
「お気に召さないか。私から見たらお前はまだ子供だけどな」
「絶対バカにしてる」
これ以上からかうと後の報復が恐ろしいのでやめてやろう。
「冗談だ。お前が子供じゃない事くらいちゃんと分かってるさ」
そういってレハトを引き寄せると、何の抵抗もなく腕に収まってしまった。珍しい。
その様子が可笑しくて可愛くてどうしようもないくらいに愛しい。
額にかかっていた髪を上げ、そこに軽く口付ける。
くすぐったいと言ってレハトが身じろぎした。
その様子ですらとても可愛いと思ってしまう。
どちらかと言えば、バカは私の方だろう。……いや、どちらではなく私がバカなのか。
「タナッセってさ」
「なんだ」
「……そんな人だったっけ」
何のことだろうか。聞き返すと思いもよらぬ言葉が返ってきた。
「だから、そんなに抱きしめたり、口付けしたりする人だっけ」
「違ったのなら大方お前のせいだ」
「……もう知らない」
そう言ってレハトが噛み付くように口付けてくる。
ああ、何度でも言ってやろう。
私は世界で一番幸せ者だ。お前を愛している、と。
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2012.2.22