その徴はこの身を裏切り。
- その徴はあるべきところへ。 のレハト視点です。
- 部捏造設定が含まれます。ご注意ください。
――なんでタナッセに徴があるの……?
眼前で床に手をついている彼の額には、私の額に輝くものと同じものがあった。
寵愛者、神の子、その証。私に授けられた、唯一の。
「……はっ。はははは!まったく、ふざけている。
ああ、今、お前の、徴は。私に、私にあるだと?
まったく、まったくふざけている」
彼が私を見てそうせせら笑った。私の、私の徴は、どこ?
「気分はどうだ?うらぶれた、下賤で哀れな緑子よ」
うらぶれた?誰が、私が?なぜ彼に、徴が、私の。
以前とは違う、餓えた獣のような目で顔を覗き込まれる。
彼の瞳に映った私の額には、もうあの光はどこにもなかった。
「私の、は」
彼に近付き、ゆるゆるとその額に触れる。
私の手は氷るほどに冷たく、彼の額はじんわりと熱かった。
泣きたい気持ちで彼を見ると、塵でも見るような目で見られる。
もう私の額に、徴はない。
何かが音を立て崩れ落ちていく。
膝から力が抜け、思わずその場に頽れた。
飼い殺し。いや、飼い殺し程度ならまだいい。
捨てられる。そう思った。
――僕は、どうなるの 捨てられるの? お願い捨てないで
焦燥と恐怖。猜疑と絶望。
「諦めて城を出るんだな」
タナッセが踵を返し、どこかへ去ろうとする。
今彼を失ったら、どうやってこの城で生きていけばいいのだろう。
そもそも、この城で暮らせていける保証ももうないのだ。
「待って、待ってタナッセ。置いていかないで」
私は、私はどうすればいい。
惨めたらしく彼の足もとに縋る。
徴の消えた子供など、誰が望むだろう。今見捨てられたら終わりだ。
矜持や羞恥など二の次で、ただ置いて行かれることが恐ろしかった。
「これは神の業であり、決して人に為せる業ではない」
彼は凍てつくような笑みを浮かべそう唾棄した。
私に徴を授け、村から引き離すだけでは飽き足らず。
今度は私から徴を剥ぎ、城からも追放しようと神は言うのか。
それが神の意志なのだと。そんなの、嫌だ。
「――捨てないで」
口にした瞬間、彼の笑みがはっきりと見えた。
神などきっと、どこにもいない。
------------------------------------------------------------------------------
「お前は、どうして欲しい?」
彼がそう問いただした。ただ、置いて行かないでほしい。見捨てないでほしい。
徴など、王の地位などどうでもよい。
後ろ盾もない私が、悪意と虚飾で彩られたこの城に、この世界に一人で放たれるなど。
到底理解も許容もできるはずがなかった。
彼はふと表情を緩め、細く整った指で私の顔をなぞる。
舐めるような視線が、どこかを弄られそうな指先が怖かった。
「ああ、そう殊勝な態度なら考えてやらんでもない。私は狭量な輩とは違うからな」
そういい、また底冷えする笑みを浮かべながら腕を取られた。
歩が向けられたのは王城。道中幾重もの困惑と好奇の視線に晒される。
彼を見ても、難しい顔をしてただ前を向くだけで、こちらを振り返ることはなかった。
入城した途端、辺りにどよめきが沸いた。
興味深そうに私とタナッセ、そしてその額を見比べる。
今すぐ、この場から逃げ出したかった。
視線が痛い。私は今、ただの子供だ。徴のない、ただの。
しかし彼は決して手を放そうとはしない。絡められた指が、私を縛る鎖のようだった。
広間にまで噂が露見したのだろう、足音高く姿を見せたのはヴァイルだった。
「なになにこの騒ぎ。タナッセがなんだっ…………」
タナッセの陰からヴァイルの顔を見る。
絶句とも苦悩とも焦燥とも取れる表情を浮かべ、こちらを見ていた。
「……え。え、え、え。え?タナッセに、なに?徴?え?」
「なにわけわかんない。え?レハトの徴は?なんで?え?」
ヴァイルが困惑に満ち、震えた声でそう尋ねる。
私だって答えられるものなら、知ることができるなら教えてほしかった。
だが、タナッセが答えた言葉に、私の求めるものはなかった。
「天におわします我らがアネキウスは、どうやら私を神の子だと認めたらしいな。その徴をもって」
「そしてこいつは、徴に不相応なただの子供に成り下がったわけだ。ヴァイル、お前も馬鹿ではないのだから分かるだろう?」
神の子。不相応な、ただの子供。
胸中に不安が蟠り、彼の手を一層強く掴んだ。
徴を持った時とは違う、別の好奇にただ怯えるしかなかった。
「母上に謁見する。これはこの国に根幹を揺るがす重大な問題だ。二人目の寵愛者が現れた以上の、な」
彼はそう高らかに宣言した。
------------------------------------------------------------------------------
彼と彼の護衛に引き連れられたのは謁見の間だった。
決して初めてではない。元々、この座に座るために今まで訓練してきていたのだ。
しかし、もはや徴のない私にはただの威圧感と疎外感をもった閉鎖的な空間でしかなかった。
「ふむ…… レハトの徴が消失したとの噂が城内に蔓延っておったが、よもや事実だとはな……」
「それも、タナッセ。お主にか」
普段厳正な王が、当惑を隠さぬ表情でそう言った。
当たり前だろう。彼女の息子が虐げられてきた理由は、その徴にあったのだから。
「母上、こいつは……レハトはもう寵愛者ではありません。いつまでも城に置いておく訳には――」
「ちょっと待ってよ。そんなのおかしいじゃん」
ヴァイルが横から口を出す。陛下と同じく当惑した表情だった。
「急にタナッセに徴が現れたり、レハトから消えたりおかしいじゃん。消えたからってレハトが……」
一方タナッセは、見下したような呆れたような、心底馬鹿にした表情を浮かべていった。
「お前はその頭にいったい今まで何を詰め込んできたんだ?」
――徴が 事実 もう寵愛者では――
城で優遇して―― ――不信感 王 国の沽券――
彼が何を言っていたのか私にはよくわからない。
優遇、王、寵愛者、沽券、子供、下賤。
――だとしたら、こいつを即刻王城から追放することが――
追放。
その言葉がつぶやかれたとたん言いようのない恐怖が襲った。棄てられる。嫌だ。
無意識とも取れるほど彼の手を強く掴んだ。
ヴァイルが私のために動いてくれようとしたことは伝わる。
だが、彼は余裕の表情を崩すことはなく、全て冷静に論破するだけだった。
私の手をタナッセが握り返す。そのまま放さないでほしい。それしか思えなかった。
彼が彼の母……リリアノに私を追放すべきかを問うた。嫌だ。捨てないで。
王の返答は。
「そんな……!おばさんよく考えてよ!!だってレハトはずっとここまで!!」
「ヴァイル。事実というものは残酷なものだ。レハトの額から徴が消えたことは覆らない」
「そして、タナッセの言うことは尤もだ。我は王であり、全ての民のため公正な判断をしなければならない。……心得よ」
彼の意図をくみ取るというものだった。
------------------------------------------------------------------------------
「そん……な……」
ヴァイルの顔から血の気が引いていくのが分かった。
私と彼を交互に見比べ、落ち着きのない様子で地団太を踏む。
客観的に見れば王の判断は正しいのだろう。
元寵愛者、貴族たちにとってこれほど格好の餌はない。
徴はそれほどの脅威なのだ。
王に成りえる名声と能力を身に付けた私は、いついかなる時も狙われるだろう。
私自身、というよりは、私を利用して玉座を脅かそうとする者たちによって。
そう逡巡していると、タナッセが口を開いた。
「それで、一つ提案があるのですが」
「なんだ?言うてみよ」
今度こそ捨てられる、と思った。城から追い出せと。
それとも堅牢に閉じ込められるのだろうか。
刹那のはずの時間が、悠久もの時間に感じた後、彼は徐に告げた。
「レハトを、私の妻として迎えてもよいでしょうか」
耳を疑った。彼は何と言った?私を?どうすると?
驚愕のあまり腰から力が抜けてしまうかと思うと、彼がこちらを蔑んだ目で一瞥した。
「なに。どういうこと。俺わかんない。レハトを城の外にやって、タナッセも出てって二人で暮らすの?
意味わかんない。ほんと意味わかんない。なにそれ」
私もわからない。誰か説明してほしい。私の頭にもわかりやすく。
「私はレハトにもこの国にも、双方にいい結果を与える案を出したにすぎん。
後ろ盾もないレハトを一人で放り出してみろ。こいつが噛み付かないとも限らん」
私が噛み付く?いったい何のために。
ああ、そうか。答えは自分で出している。私が、ではないのだ。
「確かに、レハトを利用する者が現れる可能性も否めない。レハト、お主はどうだ」
私を利用する誰かのために、なのだと。
きっと理解していないと思ったのだろう、彼がことを簡潔に説明した。
私の存在は脅威であると。
「それ、は」
――そうだとして、なぜ彼なのですか。 そう口にすることはできなかった。
「答えなくていいよレハト!そんなのおかしいじゃん!第一なんでタナッセな訳?俺でもいいんでしょ?俺ならもっと……」
「お前は王候補だ。ああ、権利だけなら私にもあるかもしれないが、立場上望み薄だろう。今はそれはどうでもいい」
ヴァイルが代弁するかのように会話に割り込む。
ここはひどく寒い。
「王になる者が、徴をなくした庶民……いや、庶民以下の下賤な輩を伴侶にしてみろ」
「軽んじられる。王とは賤しい身分と伴を共にするのか、とな。
若しくはレハトに丸め込まれたと思われるかも知れないぞ」
「そ、そんなの俺が、しっかりすれば…………」
きっと何を言っても無駄だろう。
私から見ても、ヴァイルの言葉が尻窄りするのが手に取るようにわかる。
どう見ても劣勢だった。
「王が軽んじられればその国は終わりだ。反逆が起き、まともに機能しなくなる。分かるだろう」
「でも……!」
「諄い」
タナッセが一喝し、遂にヴァイルは尻込みするように口を閉ざした。
論理的に攻め立て、論破し、糾弾する彼を、止められる者などいないのだろう。
始終陛下も何も言わなかった。
王は王として公正な立場に立ち、国の安泰を守らねばならない。
ヴァイルだって理解しているはずだ。今度は彼が王に成るのだから。
彼がなんの色も見せない表情でこちらを振り返る。
――で、どうなんだ。私と伴を共にする気はあるのか。
------------------------------------------------------------------------------
二ヶ月後、私の姓は彼の家のものが入った。彼にも相応に、私の家のものが。
タナッセは、貴族から流石かのヨアマキス家の跡取りだ、と嘲笑されている。
そこまでして地位が欲しいのかと。
彼は地位と名声の話を私によく聞かせる。
しかし、それは本当に彼が望んでいたものなのだろうか。
時折ふと見せる表情は、本当に恵まれていて出るものなのだろうか。
当初こそ、玉座についたヴァイルが何かしらの手立てをするのだと思っていた。
だが、抜け目がない彼のことだ。
きっと何らかの根回しはしているだろう。
事実、今の今まで何の音沙汰もない。鳥文さえも来ることはなかった。
六代目国王。本来ならば私もそこに立てていたのかもしれない。
もう、執着など微塵もないけれど。
私はもう城に入ることはできない。鳥文すら出せない。
ヴァイルを頼ることはできない。陛下は――リリアノは既に神の国に迎えられている。
頼れる者など、誰一人いなかった。
彼の疎ましさや煩わしさは日ごとに募っているのだろう、罵声、時には暴力となり私に降り注いだ。
単純な力での暴力、言いたくもないような……暴力、時折殺されるのではと怯え続けている。
あれは結婚初夜の事だっただろうか。
ただ震えていた。彼が怖かった。
もしかしたら、この屋敷で殺されてしまうのかもしれない。
叫んでも誰も、誰も助けに来てはくれない。気付いてもくれないかもしれない。
怖かった。己に徴がないことが、後ろ盾も庇護もないことが。
ただの人であることが。
どうしようもなく恐ろしかった。
記憶では、月明かりの夜だったと思う。
軋む寝台を無視して、そっと冷たい手で私の躰の淵をなぞった。
不快感よりも、恐怖。
逆光で彼の顔は見ることができなかった。どんな表情をしていたのか。
嘗める様な視線を感じ、身じろぎしたような気がする。
思い出したくもない。
夫婦の営み。極当たり前の。きっと誰もが通るであろう道。
そんなもの、許容できなかった。嫌だった。痛かった。当たり前だなんて思えなかった。
抵抗できないようにと首を絞められた。口に布を噛まされた。
痛かった。
そこから先はよく覚えていない。
どうやって翌朝を迎えたのか。あの後も何かされたのか。
今では何も分からない。
それでも私は逃げることはできなかった。
元寵愛者。それが指し示すのは死だ。何も大げさなことではない。
神に見捨てられた子供、それがなまじ城で悠々と暮らしていたのだ。
城下の人はどう思うだろう。決していい感情は持たないはずだ。
彼はよくわかっている。
私にとって彼がどのような存在なのかを。
そうして思い直す。頼れる人はただ一人だけいるのだと。
それは何の因果か、彼ただ一人だった。
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2013.6.19 -- 13.6.26 誤字修正
眼前で床に手をついている彼の額には、私の額に輝くものと同じものがあった。
寵愛者、神の子、その証。私に授けられた、唯一の。
「……はっ。はははは!まったく、ふざけている。
ああ、今、お前の、徴は。私に、私にあるだと?
まったく、まったくふざけている」
彼が私を見てそうせせら笑った。私の、私の徴は、どこ?
「気分はどうだ?うらぶれた、下賤で哀れな緑子よ」
うらぶれた?誰が、私が?なぜ彼に、徴が、私の。
以前とは違う、餓えた獣のような目で顔を覗き込まれる。
彼の瞳に映った私の額には、もうあの光はどこにもなかった。
「私の、は」
彼に近付き、ゆるゆるとその額に触れる。
私の手は氷るほどに冷たく、彼の額はじんわりと熱かった。
泣きたい気持ちで彼を見ると、塵でも見るような目で見られる。
もう私の額に、徴はない。
何かが音を立て崩れ落ちていく。
膝から力が抜け、思わずその場に頽れた。
飼い殺し。いや、飼い殺し程度ならまだいい。
捨てられる。そう思った。
――僕は、どうなるの 捨てられるの? お願い捨てないで
焦燥と恐怖。猜疑と絶望。
「諦めて城を出るんだな」
タナッセが踵を返し、どこかへ去ろうとする。
今彼を失ったら、どうやってこの城で生きていけばいいのだろう。
そもそも、この城で暮らせていける保証ももうないのだ。
「待って、待ってタナッセ。置いていかないで」
私は、私はどうすればいい。
惨めたらしく彼の足もとに縋る。
徴の消えた子供など、誰が望むだろう。今見捨てられたら終わりだ。
矜持や羞恥など二の次で、ただ置いて行かれることが恐ろしかった。
「これは神の業であり、決して人に為せる業ではない」
彼は凍てつくような笑みを浮かべそう唾棄した。
私に徴を授け、村から引き離すだけでは飽き足らず。
今度は私から徴を剥ぎ、城からも追放しようと神は言うのか。
それが神の意志なのだと。そんなの、嫌だ。
「――捨てないで」
口にした瞬間、彼の笑みがはっきりと見えた。
神などきっと、どこにもいない。
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「お前は、どうして欲しい?」
彼がそう問いただした。ただ、置いて行かないでほしい。見捨てないでほしい。
徴など、王の地位などどうでもよい。
後ろ盾もない私が、悪意と虚飾で彩られたこの城に、この世界に一人で放たれるなど。
到底理解も許容もできるはずがなかった。
彼はふと表情を緩め、細く整った指で私の顔をなぞる。
舐めるような視線が、どこかを弄られそうな指先が怖かった。
「ああ、そう殊勝な態度なら考えてやらんでもない。私は狭量な輩とは違うからな」
そういい、また底冷えする笑みを浮かべながら腕を取られた。
歩が向けられたのは王城。道中幾重もの困惑と好奇の視線に晒される。
彼を見ても、難しい顔をしてただ前を向くだけで、こちらを振り返ることはなかった。
入城した途端、辺りにどよめきが沸いた。
興味深そうに私とタナッセ、そしてその額を見比べる。
今すぐ、この場から逃げ出したかった。
視線が痛い。私は今、ただの子供だ。徴のない、ただの。
しかし彼は決して手を放そうとはしない。絡められた指が、私を縛る鎖のようだった。
広間にまで噂が露見したのだろう、足音高く姿を見せたのはヴァイルだった。
「なになにこの騒ぎ。タナッセがなんだっ…………」
タナッセの陰からヴァイルの顔を見る。
絶句とも苦悩とも焦燥とも取れる表情を浮かべ、こちらを見ていた。
「……え。え、え、え。え?タナッセに、なに?徴?え?」
「なにわけわかんない。え?レハトの徴は?なんで?え?」
ヴァイルが困惑に満ち、震えた声でそう尋ねる。
私だって答えられるものなら、知ることができるなら教えてほしかった。
だが、タナッセが答えた言葉に、私の求めるものはなかった。
「天におわします我らがアネキウスは、どうやら私を神の子だと認めたらしいな。その徴をもって」
「そしてこいつは、徴に不相応なただの子供に成り下がったわけだ。ヴァイル、お前も馬鹿ではないのだから分かるだろう?」
神の子。不相応な、ただの子供。
胸中に不安が蟠り、彼の手を一層強く掴んだ。
徴を持った時とは違う、別の好奇にただ怯えるしかなかった。
「母上に謁見する。これはこの国に根幹を揺るがす重大な問題だ。二人目の寵愛者が現れた以上の、な」
彼はそう高らかに宣言した。
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彼と彼の護衛に引き連れられたのは謁見の間だった。
決して初めてではない。元々、この座に座るために今まで訓練してきていたのだ。
しかし、もはや徴のない私にはただの威圧感と疎外感をもった閉鎖的な空間でしかなかった。
「ふむ…… レハトの徴が消失したとの噂が城内に蔓延っておったが、よもや事実だとはな……」
「それも、タナッセ。お主にか」
普段厳正な王が、当惑を隠さぬ表情でそう言った。
当たり前だろう。彼女の息子が虐げられてきた理由は、その徴にあったのだから。
「母上、こいつは……レハトはもう寵愛者ではありません。いつまでも城に置いておく訳には――」
「ちょっと待ってよ。そんなのおかしいじゃん」
ヴァイルが横から口を出す。陛下と同じく当惑した表情だった。
「急にタナッセに徴が現れたり、レハトから消えたりおかしいじゃん。消えたからってレハトが……」
一方タナッセは、見下したような呆れたような、心底馬鹿にした表情を浮かべていった。
「お前はその頭にいったい今まで何を詰め込んできたんだ?」
――徴が 事実 もう寵愛者では――
城で優遇して―― ――不信感 王 国の沽券――
彼が何を言っていたのか私にはよくわからない。
優遇、王、寵愛者、沽券、子供、下賤。
――だとしたら、こいつを即刻王城から追放することが――
追放。
その言葉がつぶやかれたとたん言いようのない恐怖が襲った。棄てられる。嫌だ。
無意識とも取れるほど彼の手を強く掴んだ。
ヴァイルが私のために動いてくれようとしたことは伝わる。
だが、彼は余裕の表情を崩すことはなく、全て冷静に論破するだけだった。
私の手をタナッセが握り返す。そのまま放さないでほしい。それしか思えなかった。
彼が彼の母……リリアノに私を追放すべきかを問うた。嫌だ。捨てないで。
王の返答は。
「そんな……!おばさんよく考えてよ!!だってレハトはずっとここまで!!」
「ヴァイル。事実というものは残酷なものだ。レハトの額から徴が消えたことは覆らない」
「そして、タナッセの言うことは尤もだ。我は王であり、全ての民のため公正な判断をしなければならない。……心得よ」
彼の意図をくみ取るというものだった。
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「そん……な……」
ヴァイルの顔から血の気が引いていくのが分かった。
私と彼を交互に見比べ、落ち着きのない様子で地団太を踏む。
客観的に見れば王の判断は正しいのだろう。
元寵愛者、貴族たちにとってこれほど格好の餌はない。
徴はそれほどの脅威なのだ。
王に成りえる名声と能力を身に付けた私は、いついかなる時も狙われるだろう。
私自身、というよりは、私を利用して玉座を脅かそうとする者たちによって。
そう逡巡していると、タナッセが口を開いた。
「それで、一つ提案があるのですが」
「なんだ?言うてみよ」
今度こそ捨てられる、と思った。城から追い出せと。
それとも堅牢に閉じ込められるのだろうか。
刹那のはずの時間が、悠久もの時間に感じた後、彼は徐に告げた。
「レハトを、私の妻として迎えてもよいでしょうか」
耳を疑った。彼は何と言った?私を?どうすると?
驚愕のあまり腰から力が抜けてしまうかと思うと、彼がこちらを蔑んだ目で一瞥した。
「なに。どういうこと。俺わかんない。レハトを城の外にやって、タナッセも出てって二人で暮らすの?
意味わかんない。ほんと意味わかんない。なにそれ」
私もわからない。誰か説明してほしい。私の頭にもわかりやすく。
「私はレハトにもこの国にも、双方にいい結果を与える案を出したにすぎん。
後ろ盾もないレハトを一人で放り出してみろ。こいつが噛み付かないとも限らん」
私が噛み付く?いったい何のために。
ああ、そうか。答えは自分で出している。私が、ではないのだ。
「確かに、レハトを利用する者が現れる可能性も否めない。レハト、お主はどうだ」
私を利用する誰かのために、なのだと。
きっと理解していないと思ったのだろう、彼がことを簡潔に説明した。
私の存在は脅威であると。
「それ、は」
――そうだとして、なぜ彼なのですか。 そう口にすることはできなかった。
「答えなくていいよレハト!そんなのおかしいじゃん!第一なんでタナッセな訳?俺でもいいんでしょ?俺ならもっと……」
「お前は王候補だ。ああ、権利だけなら私にもあるかもしれないが、立場上望み薄だろう。今はそれはどうでもいい」
ヴァイルが代弁するかのように会話に割り込む。
ここはひどく寒い。
「王になる者が、徴をなくした庶民……いや、庶民以下の下賤な輩を伴侶にしてみろ」
「軽んじられる。王とは賤しい身分と伴を共にするのか、とな。
若しくはレハトに丸め込まれたと思われるかも知れないぞ」
「そ、そんなの俺が、しっかりすれば…………」
きっと何を言っても無駄だろう。
私から見ても、ヴァイルの言葉が尻窄りするのが手に取るようにわかる。
どう見ても劣勢だった。
「王が軽んじられればその国は終わりだ。反逆が起き、まともに機能しなくなる。分かるだろう」
「でも……!」
「諄い」
タナッセが一喝し、遂にヴァイルは尻込みするように口を閉ざした。
論理的に攻め立て、論破し、糾弾する彼を、止められる者などいないのだろう。
始終陛下も何も言わなかった。
王は王として公正な立場に立ち、国の安泰を守らねばならない。
ヴァイルだって理解しているはずだ。今度は彼が王に成るのだから。
彼がなんの色も見せない表情でこちらを振り返る。
――で、どうなんだ。私と伴を共にする気はあるのか。
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二ヶ月後、私の姓は彼の家のものが入った。彼にも相応に、私の家のものが。
タナッセは、貴族から流石かのヨアマキス家の跡取りだ、と嘲笑されている。
そこまでして地位が欲しいのかと。
彼は地位と名声の話を私によく聞かせる。
しかし、それは本当に彼が望んでいたものなのだろうか。
時折ふと見せる表情は、本当に恵まれていて出るものなのだろうか。
当初こそ、玉座についたヴァイルが何かしらの手立てをするのだと思っていた。
だが、抜け目がない彼のことだ。
きっと何らかの根回しはしているだろう。
事実、今の今まで何の音沙汰もない。鳥文さえも来ることはなかった。
六代目国王。本来ならば私もそこに立てていたのかもしれない。
もう、執着など微塵もないけれど。
私はもう城に入ることはできない。鳥文すら出せない。
ヴァイルを頼ることはできない。陛下は――リリアノは既に神の国に迎えられている。
頼れる者など、誰一人いなかった。
彼の疎ましさや煩わしさは日ごとに募っているのだろう、罵声、時には暴力となり私に降り注いだ。
単純な力での暴力、言いたくもないような……暴力、時折殺されるのではと怯え続けている。
あれは結婚初夜の事だっただろうか。
ただ震えていた。彼が怖かった。
もしかしたら、この屋敷で殺されてしまうのかもしれない。
叫んでも誰も、誰も助けに来てはくれない。気付いてもくれないかもしれない。
怖かった。己に徴がないことが、後ろ盾も庇護もないことが。
ただの人であることが。
どうしようもなく恐ろしかった。
記憶では、月明かりの夜だったと思う。
軋む寝台を無視して、そっと冷たい手で私の躰の淵をなぞった。
不快感よりも、恐怖。
逆光で彼の顔は見ることができなかった。どんな表情をしていたのか。
嘗める様な視線を感じ、身じろぎしたような気がする。
思い出したくもない。
夫婦の営み。極当たり前の。きっと誰もが通るであろう道。
そんなもの、許容できなかった。嫌だった。痛かった。当たり前だなんて思えなかった。
抵抗できないようにと首を絞められた。口に布を噛まされた。
痛かった。
そこから先はよく覚えていない。
どうやって翌朝を迎えたのか。あの後も何かされたのか。
今では何も分からない。
それでも私は逃げることはできなかった。
元寵愛者。それが指し示すのは死だ。何も大げさなことではない。
神に見捨てられた子供、それがなまじ城で悠々と暮らしていたのだ。
城下の人はどう思うだろう。決していい感情は持たないはずだ。
彼はよくわかっている。
私にとって彼がどのような存在なのかを。
そうして思い直す。頼れる人はただ一人だけいるのだと。
それは何の因果か、彼ただ一人だった。
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