屋烏の愛

彼女との日々は私のそれまでの鬱々とした記憶を掻き消した。
誰かに愛され、誰かを愛すことがこれ程までに幸せなものだと今までの私は知らなかった。
愛おしいものに触れることができる。些細な喜びを共感することができる。
なんと素晴らしいことだろう。

そんな日々を噛みしめるように、今日もまたレハトと中庭を歩いていた。
するのは他愛のない会話だ。その瞬間がとても好きだった。

「あ、長椅子あるよ。タナッセタナッセ、一緒に座ろう」

不意に手を引かれる。
レハトはどうにもこういう突拍子のないところがあった。
仕方ないな、と苦笑する。澄み渡った昼下がりであるし、息抜きには良いだろう。

「おい、そんなに近づく必要はないだろう」
「くっつきたいの！」

誰が来るともしれないというのに、殆ど距離がないほどにくっついては私の顔を見上げてくる。
もう少し淑女らしい振る舞いをしてほしいと常々思うが、きっと贅沢な悩みだろう。
以前はそうした悩みすらもなかったのだから。

「ねね、そういえば新しい詩集できた？できたら見せてね」
「お前も物好きだな。私の詩でなくとも良いだろうに」
「もータナッセ分かってないなー。好きな人のだから読みたいんだよ」

こいつは……　馬鹿というか素直というか……　馬鹿というか。
恥ずかしげもなく言ってくる態度に、こちらが恥ずかしくなりそうだ。

「いいでしょ？」
「分かった分かった勝手にしろ。その代わり作業を手伝ってもらうからな」

あからさまにレハトの表情が歪んだ。何だその態度は。
お前には奉仕の心が足りないと諭せば、説教は聞きたくないなど生意気な口をきく。

頬をつねってやればいひゃいいひゃいと凡そ言葉になっていないことを言う。
不覚にも、子供らしい様子が愛おしく思えた。
私も傍から見たら相当惚気て見えるかもしれない。

「ほら、もういいだろう。そろそろ帰るぞ」
「ええー、まだタナッセといるー！」
「いちいちくっつくな！」

しばらく攻防が続いた。

抱きつこうとするレハトを振り払っては再度腰に抱き着かれる。
幾ら分化して力が弱くなったとはいえ、未分化の頃の経験を生かしているのか中々に振り払えない。

「い、いい加減にしないか」
「やだ！」

引き剥がしても引き剥がしてもまとまりついてくるレハトに、遂に抵抗を諦めた。好きにしろ、と放っておけばご満悦な表情を浮かべている。
何がそこまでこいつを突き動かすというのか。全くわからん。

「タナッセー」
「何だ」
「えへへ、タナッセー」

間抜け面を浮かべてこちらを見てくる様子はなんとも気が抜ける。
ああ、こんな所を人に見られたらなんと言われるだろうか。

ヴァイルやユリリエに見られたらと思うと怖気がする。
からかってくるに違いない。

「満足したか」
「まだ！」
「……お前はいつになったら私から離れてくれるんだ」

悪い気はしないが…… 男の矜持というものが私にもある。どうにも落ち着かない。
先程から視線を感じる気がし、心なしかモルも落ち着きがないように見えた。
気のせいだろうか。

引き剥がそうとすればまたもや抵抗される。押し問答を繰り返しているうちに、足を滑らせ地面に倒れこんだ。
丁度レハトが私の上に跨る形である。

「重い……」
「失礼な」

こいつが意地っ張りなのは理解していたが、それにしても今日は拍車がかかっている気がする。

「何をそんなにムキになっている」
「だって、寂しかったんだもん」
「……何？」
「寂しかったの。タナッセ、お仕事で暫くいなかったから…… いっぱい、甘えたいんだもん……」

……ああ。確かに最近は領主着任の為に遠方へ出る事が多く、レハトと会話する暇もなかったかもしれない。
帰館しても大抵レハトは先に寝付いていた。
そう思えば、この甘え方も仕方ないのかもしれない。

「……そうか。寂しい思いをさせたならすまなかったな。許してくれ」

うなだれるレハトの頬をそっと撫でると、溢れるような笑みを浮かべた。

己の行動が、言葉が、レハトに影響を与えることが嬉しかった。
私も何かを与えることが出来るのだと、この世界にいる意味があるのだと。

顔が近付くと良い匂いがした。
白い肌はすべすべとしており、触れるたびに温かい。

「タナッセ」
「……何だ」
「ずっと一緒にいてね。ずっとずーっと」

断る理由など無いだろう。

「ああ」

くすぐったそうな笑みを浮かべるレハトの手を引いて部屋に戻ると、ヴァイルたちにこぞってからかわれたのは言うまでもないだろう。

私は幸せ者である。
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2015.5.29