思い募る夜明け
- タナッセ友情想定。両片想いな二人のお話。
ああ、どうしてそんな顔をする。
その日は日柄もよく、詩嚢を肥やすには最適だった。
いつものように中庭の長椅子に腰掛け、紙とペンで思想を書き付ける。
その中の幾つが作品に昇華されるかは分からないが、書き留める作業は嫌いではなかった。
「今日はこんなところか」
一通り書き留め、何をするでもなく空を仰ぐ。
空は蒼く澄み渡っており、風が木立を揺らし葉の音を立てる。
風流だ。こうして悠長にしていられるのも、あと僅かだろう。
「あれ、タナッセだ」
風の音に割り込むように声がした。横合いを見ればレハトが立っている。
近頃何かとこいつに出くわすことが多い。これも神の御導き、というものだろうか。
「ああ、お前か。どうした」
「ちょっと散歩してたらタナッセが見えたから」
「そうか。そんな所で立っているのもなんだろう。こっちに来て座ってはどうだ」
思えば、こんな風にレハトと相席するなど誰が想像しただろうか。
以前であれば想像もできなかった。相容れぬことはないと思っていたし、互いに理解し合うこともないと思っていた。
しかし、今私とこいつは同じ時同じ椅子に座り話題を共有している。
何とも奇妙なことである。
「お前と知り合ってからもうすぐ一年か。この一年、やけに早かった気がするな。どうだ、お前も少しは慣れたか」
「うん。最初は全然お城の事とか分からなかったけど、今は大丈夫。タナッセもいるしね!」
私がいる、か。中々に嬉しいことを言ってくれる。勿論口が裂けてもそんなことは言わないが。
揶揄されることはあれど、頼られることなどなかった私には新鮮な心地である。
「近頃は評判も良いと聞く。私などいなくとも、お前ならば一人で事を成していただろう。そう私を買い被るな、自分に自信を持て」
「そんな事ないよ!タナッセのお陰だよ、ありがとね」
会った当初に比べると、こいつも随分と丸くなったものだ。
ああ、もしかしたらそれは私もかもしれない。
こんな風に談笑するなど、およそ私らしくもないな、と薄く笑った。
「一年、か。……お前はこれからの事を…… 成人後はどうするのか決めているのか?」
聞けばレハトは迷う素振りを見せた。
学問の道も気になるが、武勇を生かす道も考えているという。
確かに勉強熱心ではあるし、体を動かすことも好きそうではあった。
迷うのも仕方ないだろう。
「そうか。まあまだ時間はある、自分の納得のいく道を決めれば良い」
「タナッセはどうするの?」
「私か?私はそうだな……」
以前から決めていたことを話す。
城を出ようと思っている、と。
「詩の師事をしてくれる方がいてな、その人の元に就こうと思っている。城を出ることには不安もあるが……
いつまでも王子という立場に甘えている訳にはいかん。そもそも、王子ではなくなる訳だしな」
そう笑って話せば、レハトは亜麻色の目を見開いてこちらを見ていた。
瞳が大きく揺れているように見える。
「……どうした?」
「ううん」
先程とは変わり、言葉少なのまま俯いてしまう。
一体どうしたというのか。
「体調でも悪いのか」
「そうじゃない、大丈夫」
そうは言うものの、見るからに様子がおかしい。
モルに目配せをするが、困惑したような視線が返ってくるだけだった。
「……タナッセ、ほんとにお城出ちゃうの?」
「あ?ああ、まだ決まったわけではないがな。以前ディットンの話をしただろう。
そこに行こうかと思っている。ディットンは中々良いところだぞ、お前も機会があれば行ってみると良い」
ディットンの名産品や古神殿のこと、師事を乞う人…… つまり、ヤニエ師の事を話す。
しかし、何を話そうがレハトは俯いたままだった。いつもなら私の話には食いついてくるというのに、本当にどうしたのだろう。
「…………」
「おい、どうした。やはり体調が芳しくないのではないか。医務室に……」
「行かないで」
今、何と言ったのだろう。
私の聞き間違いだろうか。そうであってほしい、と神に願う。
「何……」
いつの間にか服を掴まれていた。
レハトの顔は見えない。ただ、私の服を掴む手が、肩が震えている。
「レハト?」
「いかないで」
か細い、震えた声だった。
いかないで。
それはどういう意味だろうか。
……いや、言い訳はやめよう。分かっている。
レハトは、私に行くなと言っている。城を出ないでくれ、と。
「私、タナッセがいたから頑張れたんだよ。お城に一人でも頑張れたんだよ。
タナッセがいなくなったら、お城に一人ぼっちになっちゃう」
「それは…… お前は、勘違いしているだけだ。私にはお前が言うほどの価値はない。
お前が努力できたのは、お前の力だ。私がいなくとも、お前なら乗り越えられる」
これは拒絶になるのだろうか。
そう答えれば、強く皺になる程服を掴んだ後、手が離された。
膝の上に添えられた手は強く握られているのか、赤く筋が付いている。
「……ううん、私の我儘。ごめんね、タナッセ困るよね。お城、嫌だったもんね。
やっと夢目指せるんだもんね。ごめんね、困らせちゃって。ごめんね……」
こういう時、どうしたら良いのか分からない。
何と声をかければ正解なのか。
ユリリエやヴァイルなら分かっただろうか。
「頑張ってね、私、応援、してるから」
ああ、どうしてそんな顔をする。
顔を上げたレハトの顔は引き攣り歪んでいた。
無理矢理作った笑顔は今にも崩れそうで、丸い瞳は赤く潤んでいる。
どうして、私如きにそんな顔をする。
「ずっと、応援……」
「レハト」
「して……っ、でも、でも、好きなんだもん。一緒にいたいんだもん。タナッセのそばに、いたい……」
ここに残るということは、詩人になるという夢が遠のく事を意味している。
目指すのであればディットンへ向かうことが最善だろう。レハトもそのことは分かっている。
そうすべきである。だが。
どうして、こんなレハトを放っておけるだろうか。
「……分かった」
「……?」
「お前の気持ちは受け取れない。だが、ここには留まろう。何、後数年ここにいるくらいなら許されるだろう。
お前が引き留めたのだからな、その分は付き合ってもらうぞ」
「…………いいの……?」
信じられない、と言った目でレハトが顔を向ける。私自身己の発言が信じられなかった。
以前ならば、漸くこの腐りきった城から離れることができると歓喜していたというのに。
一体どういう心境の変化だろう。
「ごめんね、ごめんね」
「……泣くな、鬱陶しい。いいか、お前の気持ちは有難いが受け取れない、それは覚えておけ。……わかったな」
「うん、うん……」
顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにさせ、レハトは笑った。顔が引き攣りうまく笑えていない。
涙を拭けと肩布を投げてやると、更に破顔させて布を握っていた。
「ありがとう、タナッセ」
何がそんなに嬉しいのだろう。
私はただここに留まると言っただけだ。
気持ちは受け取れないとはっきり伝えたというのに、それでも良いとばかりにレハトは笑う。
分からない。こいつが…… 分からない。
「そんな顔では私が何か仕出かしたのかと疑われかねん、送ってやるからさっさと部屋に戻れ」
泣かせたことには変わりないが、また妙な噂が立っても困るのは事実である。
めそめそと嗚咽を立てるレハトを部屋まで送ると、侍従に睨まれたのは言うまでもないだろう。
--------------------------------
「ねー、タナッセ本貸してー」
「もう少し礼儀というものを知らんのか貴様は」
告白を受けてから数日が経ったが、私とレハトの関係は相変わらずだった。
あの後、レハトが妙に懐くのではないかと俄かに心配していたが、どうやら杞憂だったようで
特段纏わり付くこともなく今まで通りの距離感で接している。
「そう言えば先だって貸した本はもう読み終えたのか」
「あ!あれね、うん、すごく面白かった!修辞法とかなんか凄かった!」
「ほう。中々解ってきたと見える。ティパーリンは私も気に入っていてな、あの表現が何とも奥深い。
薄氷のような繊細でいて、隅々まで張られた綿密かつ大胆な……」
「……うん?」
「……お前本当に理解したのか」
……呆れることも増えたが。
「ああ、そうだ。今回貸した本はなるべく次の週までに返してくれ。来週は所用で出掛けるのでな」
「お出掛け?どこ行くの?」
「ディットンの方に少しな。ヤニエ師の話はしただろう。あの人のところに以前行った時に目通しして貰った詩を受け取りにな」
「……鳥文じゃだめなの?」
あの時から、こいつの表情の変化が随分と分かるようになった。晴れやかだった顔は俄かに翳り落ち込んだように下を向く。
仕方がないな、と軽く頭を小突いてやると窺うように視線を上げた。
きっと、私も仕方のない者に分類されるだろう。
「師事もその時に少し受けるのでな。何、数ヶ月も留守にするわけではない。二週程だ。
それくらい、かの寵愛者様なら待てるだろう?
それとも私がいなければ兎鹿の子のように寂しさで死んでしまうかな。
まさかそんな事はあるまい?」
「む、待てるもん……!!タナッセのばーかばーか!」
失礼な。まあからかい過ぎた自覚はあるので軽く謝っておく。
「そういう事だ、来週から二週はいないからな。暇ならヴァイルに構ってもらえ。
ああ、鳥文で『タナッセ助けて〜寂しくてレハト死んじゃうよ〜』など送ってくるなよ。ヤニエ師の前で恥をかくからな」
「送らないよ!タナッセのばーか!!」
しおらしくなったと思ったら途端に蹴りを入れようとしてくる態度はどうにかならないものか。
「そうだ、何か入り用ならディットンで買ってきてやるが。何かいるか」
「……いらない」
「遠慮しなくとも良いぞ」
そう聞けばレハトは首を横に振った。
私が帰ってきてくれればそれで良い、と。
「……そうか。それはそれは、流石神に愛されし寵愛者様は慈悲深いな。有難く受け取っておこう」
手に持っていた本を投げ付けられた。
本は投げるものではないぞ。
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ディットンへの出立の日、レハトが見送りに来ていた。
目が少し腫れている気がする。
……だからどうという訳ではないが。決して。
「それでは私は行ってくるが…… 寂しさにかまけて侍従にやたらと迷惑をかけたりするんじゃないぞ。いいな。
それと私に泣きついてくるなよ、どうしようもないからな」
「しないよ!」
「おや、私が城を出ると聞いた時に泣きながら引き留めたのは誰だったかな」
「うがー!タナッセの意地悪ー!根性悪ー!帰ったら噛み付いてやるー!」
からからと思わず喉から声が出た。くるくると表情の変わるレハトは見ていて飽きない。
それでも、やはり心細いのか不安そうな色を顔に浮かべている。
「…… たった二週だ。それくらい、待てるだろう?すぐに帰ってくる、心配するな」
「心配なんてしてない」
「……そうか。では、行ってくる」
手を振るレハトの姿がいつもより小さく見えたのは、恐らく気のせいではないだろう。
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ディットンに着いてからは忙しさにかまけて城のことは忘れ気味になっていた。
ヤニエ師が厳しい人なのは知っていたが、それでも扱かれると中々に骨が折れる。
たかが二週、と思っていたが、いざ体感すると道程は長く感じた。
「そう言えば、城の方はどうなっている?」
ヤニエ師がふと思いついたように口にした。……レハトはどうしているだろうか。
上手くやっているといいが。まあ、私が心配しなくともあいつならどうにかしているだろう。
いざとなればヴァイル達がいる。
「おい、どうなんだ?」
「あ、え、ええ。友人が詩に興味を持ったようで。よく勉強を教えろと煩いですよ」
「ほう、友人か。その者も詩は書くのか」
「まあ、多少は」
「ならば連れて来ると良い。お前の友人など、さぞ物好きだろうからな。顔を拝んでみたい」
ヤニエ師も中々失礼な人だろう。いや、私も人の事は言えないが。
機会があれば、とだけ答えその日の師事は終了となった。
月明かりが辺りを薄く照らす中、露台でぼんやりとレハトのことを考えていた。
出立の日、声にこそ出していなかったが、あの顔はどう見ても不安を表していたように思う。
たかが二週、友人が遠出するだけである。
「友人、か……」
レハトが私を引き留めた日のことを思い出す。
泣き腫らしていた。そばにいたいと服を掴んで。
あの時、断ろうと思えば断る事はできた。私はディットンへ行く、と。
「あんな顔をされたら、出来ないではないか……」
柵に乗せている腕に頭を預ける。あれが正解だったのか、未だにわからない。
友人としての関係は良好だと思っている。
……いつまで続けられるだろう。
「……馬鹿が」
呟きは闇に溶けていった。
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程無くして二週が過ぎようとしていた。こってり絞られながらも、何とか無事帰路につけそうである。
帰り際も「友人に宜しく頼む」とヤニエ師は言葉を残した。
顔がにやついているのが気になるが、気にしても無駄だろう。そういう人だ。
道中に土産でも買ってやろうかと思い立つが、ふとレハトの言葉を思い出す。
……恐らく、私が一刻も早く帰る事があいつへの土産になるのだろう。
嘆息をつき鹿車を急がせた。
城に着くと真っ先に迎えたのはレハトだった。
鹿車から降りるや否や、遅いだのなんだのと言いながら体当たりを食らわせてくる。
もう少し友人を労うことは出来ないのだろうか。
「おい、随分なご挨拶だな。それが田舎式の挨拶か?この城では受け入れられないからな、やめておいた方が無難だぞ」
「あー!タナッセのその嫌味ったらしい口振り!久しぶり!」
喜んでいるのか貶しているのか判断に困る。
まあ顔は喜んでいるので良しとしよう。だとしても体当たりはご遠慮願いたいが。
「どうだ、二週間息災にしていたか」
「もちろん!タナッセなんていなくても平気だったもんねー!」
手を顔の横で広げ、舌を出しやたらと挑発してくる。何も成長していない。
「それはそれは。ならもう私がいなくとも大丈夫だな」
ほんの冗談のつもりだった。
「えっ」と。小さな呟きが漏れたかと思うと、レハトの動きが止まる。
横に挙げられた手はゆっくりと下に落ち、力無く服の端を掴んでいた。
「あ、そ、そうだね……」
こいつは。全く、素直じゃない。
「冗談だ」
髪をぐしゃぐしゃと撫でてやる。
ぽかんと口を開けるレハトに「人の言うことを何でも真に受けるな、馬鹿に見えるぞ」と言えば
俄かに頬を上気させ馬鹿のような顔をして喜んでいる。
ああ、どうしようもない。
こいつも、私も。
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「ディットンどうだった?面白いこととかあった?」
「ああ、師事の合間に古神殿が管理している図書館を見てな。蔵書の多さに驚いた。
……まさか私の詩集まであるとは思わなかったが。あんなもの置いてどうするんだ……
古典の一つでも増やしたほうがまだましだ」
「タナッセの詩集有名だもん、そりゃあるよ」
帰ってきて早々、レハトは私に話を聞きたいと持ちかけた。
疲れているのだから今度にしろと断れたのだが、いかんせん寂寥とした顔をされては言い出しづらい。
「そうだ、タナッセがいない間私も少し詩を書いたんだよ!ヴァイルと一緒に!」
「ほう、どれ、見せてみろ。お前がどれほど成長したか見てやる」
まあ、なんと言うか、無難な出来ではあった。それでも以前よりは比喩の使い方が上手くなっているようには見受けられる。
それを指摘すると、ぶーぶーと頬を膨らませながらも批評を素直に受け取っていた。
「及第点だろう。お前は提喩表現が少し多いな、確かに印象的にはなるが些かくどい」
「ううん…… 詩って難しいね」
「初めからわかる奴などいない。気にするな」
「頑張ってるんだけどなぁ」
暫く他愛のない話をする。
長旅で疲れてはいたものの、何だかこいつと話すと気分が落ち着く気がした。
「ああ、それと……」
「うん……」
「……どうした?」
先程まで興味深そうに聞いていたというのに、今はどこかぼんやりしているように見えた。
思わず話が弾んで長時間話してしまった、無理をさせていたのかもしれない。
よく見れば少し頬が赤くなっている。
先程も赤く見えたが、もしかしたら原因は他にあったのかもしれない。
「おい、熱でもあるのか」
「え、ううん、違うよ。大丈夫大丈夫。続けて」
「ちょっと額を貸せ」
「え、いいよ、違うから!」
逃げようとするレハトを捕まえ額に手を当てると、しっとりと湿っており熱かった。
ああ、やはり熱があるではないか。
「常々思っていたがお前は馬鹿なのか?印持ちはどうしてこう無理をする奴らばかりなんだ……
いいか、今すぐ医務室に行け。さもなくば帰って寝ろ」
「やだ!」
「やだじゃない、もうすぐ成人だろう要らぬ駄々を捏ねるな」
何度説得しようとも「嫌だ」の一点張りでとんと動こうとしない。
モルに連れて行かせようとすれば椅子にしがみ付く。
何がそんなにこいつを衝き動かすのか、全くわからない。
「いい加減にしろ!私の手を煩わせるな!」
「嫌だ!だって、やっと会えたんだもん!ずっとずっと待ってて、やっと会えたんだもん!
寂しかったんだもん、もっと、もっと話したい!!」
ああ。ああ、こいつは。調子が狂う。思わず手で頭を掻いてしまう。
私に何を求めている。私の何がそんなにいいんだ。
ただの、友人ではないか。少し、この一年で、交流を深めただけの。ただの。
「はあ……」
手で顔を覆う。こいつには何を言ってもきっと聞かない。
今までの態度から良く理解している。
「分かった、分かった分かった私の負けだ。部屋にいていい。
ただし、私の寝台を貸してやるから布団くらい被っていろ。体を冷やすなよ。
話が終わったらすぐに医務室に連れて行くからな、いいな。聞けないのなら無理やりにでも連れて行くぞ」
「……!うん!」
私もこいつも底抜けに馬鹿だ。
ああ救いようがない。ただの馬鹿だ。
何をしてるんだ、私は。
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「レハト」
「大丈夫。大丈夫だから、もっといっぱいお話聞かせて」
寝台に横たわり話を聞くレハトは、どう見ても大丈夫そうには見えなかった。
やはり、無理にでも医務室に連れて行くべきだったのではないか。
己の判断を恨んだ。
レハトの様子を窺いながら話していたが、次第に言葉少なになりその内目がそっと閉じられた。
慌てて寄るが、どうやら寝ているだけらしい。規則正しい寝息が聞こえてくる。
「やはり、無理をさせてしまったか」
熱を計ろうと寝台に乗り出し、額に手を伸ばす。
すると、くんっと何かに引っ張られる感覚がした。
下を見ればレハトの手が服を掴んでいる。
「いか……ないで」
「起きているのか?」
「タナッ…… うう…… いかない、で……」
「…………」
これは、出来心だ。
この状況に浮かされているだけの。
ほんの、気の迷いだ。ただの、一時の。
だから。
「……小さいな」
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「う…… あ、れ……」
「起きたのか」
あれから数刻が経っている。
ようやく目を覚ましたレハトは、辺りをきょろきょろ見渡すと申し訳なさそうに目を伏せた。
「随分と寝ていたな。どうだ、少しは楽になったのか?」
「あ、あうう、ごめんタナッセ…… うん、さっきよりはだいぶ良くなっ…… って、あれ!?こんな時間なの!?」
がばりと起き上がったかと思うと、窓の外を凝視しているようだった。
もう目に見えるほどに暗くなっている。まあ、随分と寝ていたからそうだろう。
「うわ、ローニカに怒られちゃう……!タナッセ、ごめんね、ありがと!またお礼しにくるね!」
「あ、おい医務室に……!」
寄っていけ、という私の言葉も虚しく、慌ただしく奴は出て行ってしまった。
遣る瀬無く椅子に座る。まったく、まるで嵐だ。
引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、どうしてくれるんだ。
「本当に、どうしてくれる……」
……私は何をしているのだろう。
頼られたからといって、何を勘違いしている。図々しいにも程がある。甚だしい。
あいつは、レハトは、不安だから私を頼っただけだ。それだけだ。
きっと、もう少し経てばあいつの気持ちも落ち着く。ただの不安からの勘違いだったのだと。
私のこの気持ちも、気のせいだ。ただ、浮かされているだけの。
そうでなければおかしいと、何度も自分に言い聞かせた。
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年が変わり、新たな王の時代が幕を開けた。
六代目国王に戴冠したのはヴァイル。誰もが認める正当な王である。
一方、もう一人の寵愛者であるレハトは継承権を放棄し、城に残っていた。
私はと言えば、約束通り城に滞在している。
揶揄の視線もあったが、今更少し揶揄が増えたところで特段何かが変わるわけでもなかった。
レハトは女性を選択したと聞く。何となく、予想はついていた。それで何が起こるのかも。
篭りの際中、時折文を交わしあった。いま城の外で何が起きているか、私はどうしているのか。
やはり話すのは他愛もないことばかりだ。それは篭りが終わってからも変わらなかった。
危惧していた出来事は起こらず、以前のように私とレハトは付き合っている。
もちろん弊害もあった。
私がレハトを籠絡しようとしているだの
ヨアマキスの復活のため政略結婚を企てているだの、下世話な噂が実しやかに流れているらしかった。
致し方ないのかもしれない。
私はもとより、レハトも縁談を悉く断っているらしかった。
その真意はわからない。
気付けば慌ただしく一年、二年と時が過ぎていた。
私もいよいよ、城に留まることができなくなる。
それと言うのも、私の詩作が「タナッセ・ランテ=ヨアマキス」の作品としてようやく認められたことにあった。
本格的な師事の為、ディットンに旅立たなくてはならなくなったのである。
レハトに見送りをして貰うのは二度目だ。
ただ、あの時は帰ってくる約束をしていた。
今回は違う。私はもう、この城へは帰ってこない。
「タナッセ、よかったね。お城でも詩集の評判すごいんだよ!ミーデロンとかヴァイルとかすごくびっくりしてたもん。私も嬉しいなぁ」
「ふん、ミーデロンは散々私を虚仮にしてくれたからな。今頃泡を吹いて倒れていれば一興なのだが」
「泡は吹いてないかもしれないけど、ぶるぶる震えてるかもね」
レハトはいつも通りに見えた。
顔には笑顔を浮かべている。素直に私の評判を喜び、背中を押してくれている。
だのに、何故こんなにも胸がざわつくのだろう。
「……私がいなくとも、平気だな」
「タナッセ心配性だなぁ。私もう子供じゃないんだよ?平気だって!タナッセは胸張ってどーんとディットンで頑張ればいいの!」
からからと笑っている。
……いつも通りでいられなかったのは、私の方だ。
「本当に、平気なんだな」
レハトの両頬に手を当てた。
レハトは笑っている。
「大丈夫だよ」と笑っている。
「応援してるから」
手に冷たいものが触れる。
「ずっと、ずっと、応援してるから」
手から、指から溢れていく。
「ずっと引き止めちゃって、夢も邪魔しちゃって、すごく回り道させちゃって、たくさん迷惑かけたから。
今度は、笑顔でお見送りするって、決めたの。だから、大丈夫だよ。タナッセ、いって、らっしゃ……」
「泣くな」
初めてレハトを抱きしめた。
成人しても、小さいままだった。
「だって。笑顔で見送ろうと思ってたのに、応援したいのに、好きってもう言わないって決めたのに
でも好きで、好きだから、止められなくて。行かないでって困らせちゃうから。
タナッセ優しいから、絶対、困らせちゃうから」
でも、やっぱり好きだから。
「レハト」
「う、うう…… ひっ……」
「レハト、私と一緒にくるか」
泣き腫らした顔でレハトが見上げる。
この顔を見たのはいつぶりだろう。随分久しい気がする、など場違いなことを考えた。
「今すぐに、とは行かないが。……用意が整ったら、必ず迎えに行こう。
それまでもし待っていてくれるのなら、私と一緒に来たらいい。一人増えるくらい、何とかしてみせるさ」
「う…… うぇ、ふ……」
嗚咽を漏らしながらも、しっかりと「行く」とレハトは答えた。
子供のように泣きじゃくるレハトを、出立のギリギリまで慰め続けた。
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2015.6.6
その日は日柄もよく、詩嚢を肥やすには最適だった。
いつものように中庭の長椅子に腰掛け、紙とペンで思想を書き付ける。
その中の幾つが作品に昇華されるかは分からないが、書き留める作業は嫌いではなかった。
「今日はこんなところか」
一通り書き留め、何をするでもなく空を仰ぐ。
空は蒼く澄み渡っており、風が木立を揺らし葉の音を立てる。
風流だ。こうして悠長にしていられるのも、あと僅かだろう。
「あれ、タナッセだ」
風の音に割り込むように声がした。横合いを見ればレハトが立っている。
近頃何かとこいつに出くわすことが多い。これも神の御導き、というものだろうか。
「ああ、お前か。どうした」
「ちょっと散歩してたらタナッセが見えたから」
「そうか。そんな所で立っているのもなんだろう。こっちに来て座ってはどうだ」
思えば、こんな風にレハトと相席するなど誰が想像しただろうか。
以前であれば想像もできなかった。相容れぬことはないと思っていたし、互いに理解し合うこともないと思っていた。
しかし、今私とこいつは同じ時同じ椅子に座り話題を共有している。
何とも奇妙なことである。
「お前と知り合ってからもうすぐ一年か。この一年、やけに早かった気がするな。どうだ、お前も少しは慣れたか」
「うん。最初は全然お城の事とか分からなかったけど、今は大丈夫。タナッセもいるしね!」
私がいる、か。中々に嬉しいことを言ってくれる。勿論口が裂けてもそんなことは言わないが。
揶揄されることはあれど、頼られることなどなかった私には新鮮な心地である。
「近頃は評判も良いと聞く。私などいなくとも、お前ならば一人で事を成していただろう。そう私を買い被るな、自分に自信を持て」
「そんな事ないよ!タナッセのお陰だよ、ありがとね」
会った当初に比べると、こいつも随分と丸くなったものだ。
ああ、もしかしたらそれは私もかもしれない。
こんな風に談笑するなど、およそ私らしくもないな、と薄く笑った。
「一年、か。……お前はこれからの事を…… 成人後はどうするのか決めているのか?」
聞けばレハトは迷う素振りを見せた。
学問の道も気になるが、武勇を生かす道も考えているという。
確かに勉強熱心ではあるし、体を動かすことも好きそうではあった。
迷うのも仕方ないだろう。
「そうか。まあまだ時間はある、自分の納得のいく道を決めれば良い」
「タナッセはどうするの?」
「私か?私はそうだな……」
以前から決めていたことを話す。
城を出ようと思っている、と。
「詩の師事をしてくれる方がいてな、その人の元に就こうと思っている。城を出ることには不安もあるが……
いつまでも王子という立場に甘えている訳にはいかん。そもそも、王子ではなくなる訳だしな」
そう笑って話せば、レハトは亜麻色の目を見開いてこちらを見ていた。
瞳が大きく揺れているように見える。
「……どうした?」
「ううん」
先程とは変わり、言葉少なのまま俯いてしまう。
一体どうしたというのか。
「体調でも悪いのか」
「そうじゃない、大丈夫」
そうは言うものの、見るからに様子がおかしい。
モルに目配せをするが、困惑したような視線が返ってくるだけだった。
「……タナッセ、ほんとにお城出ちゃうの?」
「あ?ああ、まだ決まったわけではないがな。以前ディットンの話をしただろう。
そこに行こうかと思っている。ディットンは中々良いところだぞ、お前も機会があれば行ってみると良い」
ディットンの名産品や古神殿のこと、師事を乞う人…… つまり、ヤニエ師の事を話す。
しかし、何を話そうがレハトは俯いたままだった。いつもなら私の話には食いついてくるというのに、本当にどうしたのだろう。
「…………」
「おい、どうした。やはり体調が芳しくないのではないか。医務室に……」
「行かないで」
今、何と言ったのだろう。
私の聞き間違いだろうか。そうであってほしい、と神に願う。
「何……」
いつの間にか服を掴まれていた。
レハトの顔は見えない。ただ、私の服を掴む手が、肩が震えている。
「レハト?」
「いかないで」
か細い、震えた声だった。
いかないで。
それはどういう意味だろうか。
……いや、言い訳はやめよう。分かっている。
レハトは、私に行くなと言っている。城を出ないでくれ、と。
「私、タナッセがいたから頑張れたんだよ。お城に一人でも頑張れたんだよ。
タナッセがいなくなったら、お城に一人ぼっちになっちゃう」
「それは…… お前は、勘違いしているだけだ。私にはお前が言うほどの価値はない。
お前が努力できたのは、お前の力だ。私がいなくとも、お前なら乗り越えられる」
これは拒絶になるのだろうか。
そう答えれば、強く皺になる程服を掴んだ後、手が離された。
膝の上に添えられた手は強く握られているのか、赤く筋が付いている。
「……ううん、私の我儘。ごめんね、タナッセ困るよね。お城、嫌だったもんね。
やっと夢目指せるんだもんね。ごめんね、困らせちゃって。ごめんね……」
こういう時、どうしたら良いのか分からない。
何と声をかければ正解なのか。
ユリリエやヴァイルなら分かっただろうか。
「頑張ってね、私、応援、してるから」
ああ、どうしてそんな顔をする。
顔を上げたレハトの顔は引き攣り歪んでいた。
無理矢理作った笑顔は今にも崩れそうで、丸い瞳は赤く潤んでいる。
どうして、私如きにそんな顔をする。
「ずっと、応援……」
「レハト」
「して……っ、でも、でも、好きなんだもん。一緒にいたいんだもん。タナッセのそばに、いたい……」
ここに残るということは、詩人になるという夢が遠のく事を意味している。
目指すのであればディットンへ向かうことが最善だろう。レハトもそのことは分かっている。
そうすべきである。だが。
どうして、こんなレハトを放っておけるだろうか。
「……分かった」
「……?」
「お前の気持ちは受け取れない。だが、ここには留まろう。何、後数年ここにいるくらいなら許されるだろう。
お前が引き留めたのだからな、その分は付き合ってもらうぞ」
「…………いいの……?」
信じられない、と言った目でレハトが顔を向ける。私自身己の発言が信じられなかった。
以前ならば、漸くこの腐りきった城から離れることができると歓喜していたというのに。
一体どういう心境の変化だろう。
「ごめんね、ごめんね」
「……泣くな、鬱陶しい。いいか、お前の気持ちは有難いが受け取れない、それは覚えておけ。……わかったな」
「うん、うん……」
顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにさせ、レハトは笑った。顔が引き攣りうまく笑えていない。
涙を拭けと肩布を投げてやると、更に破顔させて布を握っていた。
「ありがとう、タナッセ」
何がそんなに嬉しいのだろう。
私はただここに留まると言っただけだ。
気持ちは受け取れないとはっきり伝えたというのに、それでも良いとばかりにレハトは笑う。
分からない。こいつが…… 分からない。
「そんな顔では私が何か仕出かしたのかと疑われかねん、送ってやるからさっさと部屋に戻れ」
泣かせたことには変わりないが、また妙な噂が立っても困るのは事実である。
めそめそと嗚咽を立てるレハトを部屋まで送ると、侍従に睨まれたのは言うまでもないだろう。
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「ねー、タナッセ本貸してー」
「もう少し礼儀というものを知らんのか貴様は」
告白を受けてから数日が経ったが、私とレハトの関係は相変わらずだった。
あの後、レハトが妙に懐くのではないかと俄かに心配していたが、どうやら杞憂だったようで
特段纏わり付くこともなく今まで通りの距離感で接している。
「そう言えば先だって貸した本はもう読み終えたのか」
「あ!あれね、うん、すごく面白かった!修辞法とかなんか凄かった!」
「ほう。中々解ってきたと見える。ティパーリンは私も気に入っていてな、あの表現が何とも奥深い。
薄氷のような繊細でいて、隅々まで張られた綿密かつ大胆な……」
「……うん?」
「……お前本当に理解したのか」
……呆れることも増えたが。
「ああ、そうだ。今回貸した本はなるべく次の週までに返してくれ。来週は所用で出掛けるのでな」
「お出掛け?どこ行くの?」
「ディットンの方に少しな。ヤニエ師の話はしただろう。あの人のところに以前行った時に目通しして貰った詩を受け取りにな」
「……鳥文じゃだめなの?」
あの時から、こいつの表情の変化が随分と分かるようになった。晴れやかだった顔は俄かに翳り落ち込んだように下を向く。
仕方がないな、と軽く頭を小突いてやると窺うように視線を上げた。
きっと、私も仕方のない者に分類されるだろう。
「師事もその時に少し受けるのでな。何、数ヶ月も留守にするわけではない。二週程だ。
それくらい、かの寵愛者様なら待てるだろう?
それとも私がいなければ兎鹿の子のように寂しさで死んでしまうかな。
まさかそんな事はあるまい?」
「む、待てるもん……!!タナッセのばーかばーか!」
失礼な。まあからかい過ぎた自覚はあるので軽く謝っておく。
「そういう事だ、来週から二週はいないからな。暇ならヴァイルに構ってもらえ。
ああ、鳥文で『タナッセ助けて〜寂しくてレハト死んじゃうよ〜』など送ってくるなよ。ヤニエ師の前で恥をかくからな」
「送らないよ!タナッセのばーか!!」
しおらしくなったと思ったら途端に蹴りを入れようとしてくる態度はどうにかならないものか。
「そうだ、何か入り用ならディットンで買ってきてやるが。何かいるか」
「……いらない」
「遠慮しなくとも良いぞ」
そう聞けばレハトは首を横に振った。
私が帰ってきてくれればそれで良い、と。
「……そうか。それはそれは、流石神に愛されし寵愛者様は慈悲深いな。有難く受け取っておこう」
手に持っていた本を投げ付けられた。
本は投げるものではないぞ。
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ディットンへの出立の日、レハトが見送りに来ていた。
目が少し腫れている気がする。
……だからどうという訳ではないが。決して。
「それでは私は行ってくるが…… 寂しさにかまけて侍従にやたらと迷惑をかけたりするんじゃないぞ。いいな。
それと私に泣きついてくるなよ、どうしようもないからな」
「しないよ!」
「おや、私が城を出ると聞いた時に泣きながら引き留めたのは誰だったかな」
「うがー!タナッセの意地悪ー!根性悪ー!帰ったら噛み付いてやるー!」
からからと思わず喉から声が出た。くるくると表情の変わるレハトは見ていて飽きない。
それでも、やはり心細いのか不安そうな色を顔に浮かべている。
「…… たった二週だ。それくらい、待てるだろう?すぐに帰ってくる、心配するな」
「心配なんてしてない」
「……そうか。では、行ってくる」
手を振るレハトの姿がいつもより小さく見えたのは、恐らく気のせいではないだろう。
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ディットンに着いてからは忙しさにかまけて城のことは忘れ気味になっていた。
ヤニエ師が厳しい人なのは知っていたが、それでも扱かれると中々に骨が折れる。
たかが二週、と思っていたが、いざ体感すると道程は長く感じた。
「そう言えば、城の方はどうなっている?」
ヤニエ師がふと思いついたように口にした。……レハトはどうしているだろうか。
上手くやっているといいが。まあ、私が心配しなくともあいつならどうにかしているだろう。
いざとなればヴァイル達がいる。
「おい、どうなんだ?」
「あ、え、ええ。友人が詩に興味を持ったようで。よく勉強を教えろと煩いですよ」
「ほう、友人か。その者も詩は書くのか」
「まあ、多少は」
「ならば連れて来ると良い。お前の友人など、さぞ物好きだろうからな。顔を拝んでみたい」
ヤニエ師も中々失礼な人だろう。いや、私も人の事は言えないが。
機会があれば、とだけ答えその日の師事は終了となった。
月明かりが辺りを薄く照らす中、露台でぼんやりとレハトのことを考えていた。
出立の日、声にこそ出していなかったが、あの顔はどう見ても不安を表していたように思う。
たかが二週、友人が遠出するだけである。
「友人、か……」
レハトが私を引き留めた日のことを思い出す。
泣き腫らしていた。そばにいたいと服を掴んで。
あの時、断ろうと思えば断る事はできた。私はディットンへ行く、と。
「あんな顔をされたら、出来ないではないか……」
柵に乗せている腕に頭を預ける。あれが正解だったのか、未だにわからない。
友人としての関係は良好だと思っている。
……いつまで続けられるだろう。
「……馬鹿が」
呟きは闇に溶けていった。
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程無くして二週が過ぎようとしていた。こってり絞られながらも、何とか無事帰路につけそうである。
帰り際も「友人に宜しく頼む」とヤニエ師は言葉を残した。
顔がにやついているのが気になるが、気にしても無駄だろう。そういう人だ。
道中に土産でも買ってやろうかと思い立つが、ふとレハトの言葉を思い出す。
……恐らく、私が一刻も早く帰る事があいつへの土産になるのだろう。
嘆息をつき鹿車を急がせた。
城に着くと真っ先に迎えたのはレハトだった。
鹿車から降りるや否や、遅いだのなんだのと言いながら体当たりを食らわせてくる。
もう少し友人を労うことは出来ないのだろうか。
「おい、随分なご挨拶だな。それが田舎式の挨拶か?この城では受け入れられないからな、やめておいた方が無難だぞ」
「あー!タナッセのその嫌味ったらしい口振り!久しぶり!」
喜んでいるのか貶しているのか判断に困る。
まあ顔は喜んでいるので良しとしよう。だとしても体当たりはご遠慮願いたいが。
「どうだ、二週間息災にしていたか」
「もちろん!タナッセなんていなくても平気だったもんねー!」
手を顔の横で広げ、舌を出しやたらと挑発してくる。何も成長していない。
「それはそれは。ならもう私がいなくとも大丈夫だな」
ほんの冗談のつもりだった。
「えっ」と。小さな呟きが漏れたかと思うと、レハトの動きが止まる。
横に挙げられた手はゆっくりと下に落ち、力無く服の端を掴んでいた。
「あ、そ、そうだね……」
こいつは。全く、素直じゃない。
「冗談だ」
髪をぐしゃぐしゃと撫でてやる。
ぽかんと口を開けるレハトに「人の言うことを何でも真に受けるな、馬鹿に見えるぞ」と言えば
俄かに頬を上気させ馬鹿のような顔をして喜んでいる。
ああ、どうしようもない。
こいつも、私も。
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「ディットンどうだった?面白いこととかあった?」
「ああ、師事の合間に古神殿が管理している図書館を見てな。蔵書の多さに驚いた。
……まさか私の詩集まであるとは思わなかったが。あんなもの置いてどうするんだ……
古典の一つでも増やしたほうがまだましだ」
「タナッセの詩集有名だもん、そりゃあるよ」
帰ってきて早々、レハトは私に話を聞きたいと持ちかけた。
疲れているのだから今度にしろと断れたのだが、いかんせん寂寥とした顔をされては言い出しづらい。
「そうだ、タナッセがいない間私も少し詩を書いたんだよ!ヴァイルと一緒に!」
「ほう、どれ、見せてみろ。お前がどれほど成長したか見てやる」
まあ、なんと言うか、無難な出来ではあった。それでも以前よりは比喩の使い方が上手くなっているようには見受けられる。
それを指摘すると、ぶーぶーと頬を膨らませながらも批評を素直に受け取っていた。
「及第点だろう。お前は提喩表現が少し多いな、確かに印象的にはなるが些かくどい」
「ううん…… 詩って難しいね」
「初めからわかる奴などいない。気にするな」
「頑張ってるんだけどなぁ」
暫く他愛のない話をする。
長旅で疲れてはいたものの、何だかこいつと話すと気分が落ち着く気がした。
「ああ、それと……」
「うん……」
「……どうした?」
先程まで興味深そうに聞いていたというのに、今はどこかぼんやりしているように見えた。
思わず話が弾んで長時間話してしまった、無理をさせていたのかもしれない。
よく見れば少し頬が赤くなっている。
先程も赤く見えたが、もしかしたら原因は他にあったのかもしれない。
「おい、熱でもあるのか」
「え、ううん、違うよ。大丈夫大丈夫。続けて」
「ちょっと額を貸せ」
「え、いいよ、違うから!」
逃げようとするレハトを捕まえ額に手を当てると、しっとりと湿っており熱かった。
ああ、やはり熱があるではないか。
「常々思っていたがお前は馬鹿なのか?印持ちはどうしてこう無理をする奴らばかりなんだ……
いいか、今すぐ医務室に行け。さもなくば帰って寝ろ」
「やだ!」
「やだじゃない、もうすぐ成人だろう要らぬ駄々を捏ねるな」
何度説得しようとも「嫌だ」の一点張りでとんと動こうとしない。
モルに連れて行かせようとすれば椅子にしがみ付く。
何がそんなにこいつを衝き動かすのか、全くわからない。
「いい加減にしろ!私の手を煩わせるな!」
「嫌だ!だって、やっと会えたんだもん!ずっとずっと待ってて、やっと会えたんだもん!
寂しかったんだもん、もっと、もっと話したい!!」
ああ。ああ、こいつは。調子が狂う。思わず手で頭を掻いてしまう。
私に何を求めている。私の何がそんなにいいんだ。
ただの、友人ではないか。少し、この一年で、交流を深めただけの。ただの。
「はあ……」
手で顔を覆う。こいつには何を言ってもきっと聞かない。
今までの態度から良く理解している。
「分かった、分かった分かった私の負けだ。部屋にいていい。
ただし、私の寝台を貸してやるから布団くらい被っていろ。体を冷やすなよ。
話が終わったらすぐに医務室に連れて行くからな、いいな。聞けないのなら無理やりにでも連れて行くぞ」
「……!うん!」
私もこいつも底抜けに馬鹿だ。
ああ救いようがない。ただの馬鹿だ。
何をしてるんだ、私は。
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「レハト」
「大丈夫。大丈夫だから、もっといっぱいお話聞かせて」
寝台に横たわり話を聞くレハトは、どう見ても大丈夫そうには見えなかった。
やはり、無理にでも医務室に連れて行くべきだったのではないか。
己の判断を恨んだ。
レハトの様子を窺いながら話していたが、次第に言葉少なになりその内目がそっと閉じられた。
慌てて寄るが、どうやら寝ているだけらしい。規則正しい寝息が聞こえてくる。
「やはり、無理をさせてしまったか」
熱を計ろうと寝台に乗り出し、額に手を伸ばす。
すると、くんっと何かに引っ張られる感覚がした。
下を見ればレハトの手が服を掴んでいる。
「いか……ないで」
「起きているのか?」
「タナッ…… うう…… いかない、で……」
「…………」
これは、出来心だ。
この状況に浮かされているだけの。
ほんの、気の迷いだ。ただの、一時の。
だから。
「……小さいな」
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「う…… あ、れ……」
「起きたのか」
あれから数刻が経っている。
ようやく目を覚ましたレハトは、辺りをきょろきょろ見渡すと申し訳なさそうに目を伏せた。
「随分と寝ていたな。どうだ、少しは楽になったのか?」
「あ、あうう、ごめんタナッセ…… うん、さっきよりはだいぶ良くなっ…… って、あれ!?こんな時間なの!?」
がばりと起き上がったかと思うと、窓の外を凝視しているようだった。
もう目に見えるほどに暗くなっている。まあ、随分と寝ていたからそうだろう。
「うわ、ローニカに怒られちゃう……!タナッセ、ごめんね、ありがと!またお礼しにくるね!」
「あ、おい医務室に……!」
寄っていけ、という私の言葉も虚しく、慌ただしく奴は出て行ってしまった。
遣る瀬無く椅子に座る。まったく、まるで嵐だ。
引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、どうしてくれるんだ。
「本当に、どうしてくれる……」
……私は何をしているのだろう。
頼られたからといって、何を勘違いしている。図々しいにも程がある。甚だしい。
あいつは、レハトは、不安だから私を頼っただけだ。それだけだ。
きっと、もう少し経てばあいつの気持ちも落ち着く。ただの不安からの勘違いだったのだと。
私のこの気持ちも、気のせいだ。ただ、浮かされているだけの。
そうでなければおかしいと、何度も自分に言い聞かせた。
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年が変わり、新たな王の時代が幕を開けた。
六代目国王に戴冠したのはヴァイル。誰もが認める正当な王である。
一方、もう一人の寵愛者であるレハトは継承権を放棄し、城に残っていた。
私はと言えば、約束通り城に滞在している。
揶揄の視線もあったが、今更少し揶揄が増えたところで特段何かが変わるわけでもなかった。
レハトは女性を選択したと聞く。何となく、予想はついていた。それで何が起こるのかも。
篭りの際中、時折文を交わしあった。いま城の外で何が起きているか、私はどうしているのか。
やはり話すのは他愛もないことばかりだ。それは篭りが終わってからも変わらなかった。
危惧していた出来事は起こらず、以前のように私とレハトは付き合っている。
もちろん弊害もあった。
私がレハトを籠絡しようとしているだの
ヨアマキスの復活のため政略結婚を企てているだの、下世話な噂が実しやかに流れているらしかった。
致し方ないのかもしれない。
私はもとより、レハトも縁談を悉く断っているらしかった。
その真意はわからない。
気付けば慌ただしく一年、二年と時が過ぎていた。
私もいよいよ、城に留まることができなくなる。
それと言うのも、私の詩作が「タナッセ・ランテ=ヨアマキス」の作品としてようやく認められたことにあった。
本格的な師事の為、ディットンに旅立たなくてはならなくなったのである。
レハトに見送りをして貰うのは二度目だ。
ただ、あの時は帰ってくる約束をしていた。
今回は違う。私はもう、この城へは帰ってこない。
「タナッセ、よかったね。お城でも詩集の評判すごいんだよ!ミーデロンとかヴァイルとかすごくびっくりしてたもん。私も嬉しいなぁ」
「ふん、ミーデロンは散々私を虚仮にしてくれたからな。今頃泡を吹いて倒れていれば一興なのだが」
「泡は吹いてないかもしれないけど、ぶるぶる震えてるかもね」
レハトはいつも通りに見えた。
顔には笑顔を浮かべている。素直に私の評判を喜び、背中を押してくれている。
だのに、何故こんなにも胸がざわつくのだろう。
「……私がいなくとも、平気だな」
「タナッセ心配性だなぁ。私もう子供じゃないんだよ?平気だって!タナッセは胸張ってどーんとディットンで頑張ればいいの!」
からからと笑っている。
……いつも通りでいられなかったのは、私の方だ。
「本当に、平気なんだな」
レハトの両頬に手を当てた。
レハトは笑っている。
「大丈夫だよ」と笑っている。
「応援してるから」
手に冷たいものが触れる。
「ずっと、ずっと、応援してるから」
手から、指から溢れていく。
「ずっと引き止めちゃって、夢も邪魔しちゃって、すごく回り道させちゃって、たくさん迷惑かけたから。
今度は、笑顔でお見送りするって、決めたの。だから、大丈夫だよ。タナッセ、いって、らっしゃ……」
「泣くな」
初めてレハトを抱きしめた。
成人しても、小さいままだった。
「だって。笑顔で見送ろうと思ってたのに、応援したいのに、好きってもう言わないって決めたのに
でも好きで、好きだから、止められなくて。行かないでって困らせちゃうから。
タナッセ優しいから、絶対、困らせちゃうから」
でも、やっぱり好きだから。
「レハト」
「う、うう…… ひっ……」
「レハト、私と一緒にくるか」
泣き腫らした顔でレハトが見上げる。
この顔を見たのはいつぶりだろう。随分久しい気がする、など場違いなことを考えた。
「今すぐに、とは行かないが。……用意が整ったら、必ず迎えに行こう。
それまでもし待っていてくれるのなら、私と一緒に来たらいい。一人増えるくらい、何とかしてみせるさ」
「う…… うぇ、ふ……」
嗚咽を漏らしながらも、しっかりと「行く」とレハトは答えた。
子供のように泣きじゃくるレハトを、出立のギリギリまで慰め続けた。
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2015.6.6