王の座
- 結婚したタナッセとレハトのあまあまなお話。
「お出かけしよう!」
ある晴れた昼下がりに、唐突にそう妻が提案した。
突発的に外出が催されるのは初めてではない、むしろ良くあることだ。
ただ、実行されることは稀である。私にも色々と都合があるのだ。
「何だ、今度はなにを聞きつけた」
「うん、なんでもすごーくお花が綺麗に咲いてるところがあるんだって!お隣さんに聞いたの!だからねね、行ってみよう?」
一応これでも私は領主である。立場上そうそう抜け出す訳にはいかないのだが……
まあ、たまには良いだろう。こいつの我が儘に付き合ってやるのも悪くはない。
聞けば邸からそう離れてはいない場所らしい。
領主とはいえ、まだ知らぬこともあるものだと己の未熟さを実感する。
がらごろと音を立て進む鹿車の中で、レハトが私に問うてくる。
「どんなお花かなぁ。摘んでも大丈夫かな」
「噂になるほどの花畑なら管理されているのではないか?無闇矢鱈と摘んだりするなよ」
外を見、私の手を握りながらはしゃぐレハトはさながら子供のようである。
時折幼子のような姿を見せる妻を愛らしいと思ってしまうのは、私がレハトを妄愛しているからだろう。全く、どうしようもない。
心なしか兎鹿をいなす従者の顔がにやけているのが気になるが、ここは私の寛大な心に銘じて追求しないでやるとしよう。
後で始末書だ。
鹿車を走らせ半刻ほどで彼の地に着いた。
管理されている土地かと思えば、どうやら自然と花が咲き乱れた場所らしい。
所狭しと桃や赤、白の花が咲き乱れている。仄かな甘い香りは、蔵書で読んだ東洋の春を思わせた。
「わー!みてみて、タナッセ!すっごいお花!」
「みれば分かる。ふむ、これだけ広大な土地が手付かずか……?観光地として管理すれば……」
「もー!タナッセいまはお仕事禁止!」
つい癖で値踏みするように土地を見てしまった。職業病というやつだろうか。
確かにレハトの言う通りである、それは後日どうにかするとしよう。
……領主として見逃す訳にはいくまい、最大限の譲歩である。
「おっと」
唐突に手を引かれる。
レハトが私の手を引いて、特に花が咲き誇る中心部へと引き込んだ。
むせ返るほどの花の香りと、視界一面に広がる極彩色に圧倒される。
普段飾り気のない書室にこもり、黒と薄茶のインクと羊皮紙ばかり見つめている私には存外新鮮な心地だった。
「確かに、美しいな」
「ね!タナッセと来られて良かった」
嬉しそうにレハトが言う。
くるくると花弁を纏いながら回る姿は、まるで幼い頃に本で見た、花の精のようである。
その姿を見て、ふとこのままレハトが消えてしまうのではないかと錯覚した。
私があるべきところはここだとでも言うように。
「お前は、私と結婚して良かったのか」
不意に口からそんな言葉が出てしまう。
一度言ったことは取り返しがつかない。慌てて口を噤もうとも、もう遅い。
「……私はもう王子ではない。領主にこそなったが、それも母上の助力あってのことだ。
地位も名声も、相変わらず持ち合わせていない。そんな私と、本当に結婚して良かったのか」
風が花弁を巻き上げ視界を塞ぐ。
目の前で踊っていたはずのレハトは、その花達に覆い隠されてしまった。
「レハト?」
いつもの明るい返事はない。
どこを見てもレハトの姿はなく、花弁だけが一面に舞っている。
風は私の視界を振り潰し、レハトを何処かへ連れ去ってしまったらしい。
「レハト」
あんな事を言ったからだろうか。
レハトは、この花畑の何処かに消えてしまったのではないか。
このまま一生、帰ってこないのではないか。
不安から慌てて手を伸ばすと、何かに触れた。
「確かにタナッセは王にはなれないし、私ももう王様にはなれないけど」
温かいそれに触れた瞬間、風が止み花弁の嵐からレハトの姿が見えた。
私は、ああ、安心している。
まだここに彼女がいたことに。
触れた手は所々擦り切れていた。
恐らく葉で切ったのだろう。
「タナッセは私の、たった一人の王子様だよ」
花で編んだ冠を私に載せながら、レハトはそう言う。
ああ、玉座に興味はなく、最早徴にも執着などない。
私にとっての冠は、レハトただ一人だった。
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2015.10.17
ある晴れた昼下がりに、唐突にそう妻が提案した。
突発的に外出が催されるのは初めてではない、むしろ良くあることだ。
ただ、実行されることは稀である。私にも色々と都合があるのだ。
「何だ、今度はなにを聞きつけた」
「うん、なんでもすごーくお花が綺麗に咲いてるところがあるんだって!お隣さんに聞いたの!だからねね、行ってみよう?」
一応これでも私は領主である。立場上そうそう抜け出す訳にはいかないのだが……
まあ、たまには良いだろう。こいつの我が儘に付き合ってやるのも悪くはない。
聞けば邸からそう離れてはいない場所らしい。
領主とはいえ、まだ知らぬこともあるものだと己の未熟さを実感する。
がらごろと音を立て進む鹿車の中で、レハトが私に問うてくる。
「どんなお花かなぁ。摘んでも大丈夫かな」
「噂になるほどの花畑なら管理されているのではないか?無闇矢鱈と摘んだりするなよ」
外を見、私の手を握りながらはしゃぐレハトはさながら子供のようである。
時折幼子のような姿を見せる妻を愛らしいと思ってしまうのは、私がレハトを妄愛しているからだろう。全く、どうしようもない。
心なしか兎鹿をいなす従者の顔がにやけているのが気になるが、ここは私の寛大な心に銘じて追求しないでやるとしよう。
後で始末書だ。
鹿車を走らせ半刻ほどで彼の地に着いた。
管理されている土地かと思えば、どうやら自然と花が咲き乱れた場所らしい。
所狭しと桃や赤、白の花が咲き乱れている。仄かな甘い香りは、蔵書で読んだ東洋の春を思わせた。
「わー!みてみて、タナッセ!すっごいお花!」
「みれば分かる。ふむ、これだけ広大な土地が手付かずか……?観光地として管理すれば……」
「もー!タナッセいまはお仕事禁止!」
つい癖で値踏みするように土地を見てしまった。職業病というやつだろうか。
確かにレハトの言う通りである、それは後日どうにかするとしよう。
……領主として見逃す訳にはいくまい、最大限の譲歩である。
「おっと」
唐突に手を引かれる。
レハトが私の手を引いて、特に花が咲き誇る中心部へと引き込んだ。
むせ返るほどの花の香りと、視界一面に広がる極彩色に圧倒される。
普段飾り気のない書室にこもり、黒と薄茶のインクと羊皮紙ばかり見つめている私には存外新鮮な心地だった。
「確かに、美しいな」
「ね!タナッセと来られて良かった」
嬉しそうにレハトが言う。
くるくると花弁を纏いながら回る姿は、まるで幼い頃に本で見た、花の精のようである。
その姿を見て、ふとこのままレハトが消えてしまうのではないかと錯覚した。
私があるべきところはここだとでも言うように。
「お前は、私と結婚して良かったのか」
不意に口からそんな言葉が出てしまう。
一度言ったことは取り返しがつかない。慌てて口を噤もうとも、もう遅い。
「……私はもう王子ではない。領主にこそなったが、それも母上の助力あってのことだ。
地位も名声も、相変わらず持ち合わせていない。そんな私と、本当に結婚して良かったのか」
風が花弁を巻き上げ視界を塞ぐ。
目の前で踊っていたはずのレハトは、その花達に覆い隠されてしまった。
「レハト?」
いつもの明るい返事はない。
どこを見てもレハトの姿はなく、花弁だけが一面に舞っている。
風は私の視界を振り潰し、レハトを何処かへ連れ去ってしまったらしい。
「レハト」
あんな事を言ったからだろうか。
レハトは、この花畑の何処かに消えてしまったのではないか。
このまま一生、帰ってこないのではないか。
不安から慌てて手を伸ばすと、何かに触れた。
「確かにタナッセは王にはなれないし、私ももう王様にはなれないけど」
温かいそれに触れた瞬間、風が止み花弁の嵐からレハトの姿が見えた。
私は、ああ、安心している。
まだここに彼女がいたことに。
触れた手は所々擦り切れていた。
恐らく葉で切ったのだろう。
「タナッセは私の、たった一人の王子様だよ」
花で編んだ冠を私に載せながら、レハトはそう言う。
ああ、玉座に興味はなく、最早徴にも執着などない。
私にとっての冠は、レハトただ一人だった。
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2015.10.17