不安と、苦悩と。
- タナッセとレハトの結婚前のすれ違いの様子。分岐有。
- ヴァイル:国王男 レハト:女 タナッセ:レハトと婚約中
――タナッセの居室
「……ッセ」
どこからか声がする。
「……ッセ……てば……」
誰だ?
「もう、タナッセってば!!」
突然耳を劈くような怒声が響いた。
耳を押さえながら飛び起きると、眼前に仏頂面をしたレハトが立っていた。
「何回起こしたと思ってるの?最近弛みがちなんじゃないの!」
瞬間的に状況が判断できず面を食らう。
どうやら椅子に腰を掛けている内に寝入ってしまったらしい。
「あ、ああすまないな…… しかしそんなに大声を張り上げなくともよかろう」
「まさか今日が何の日か忘れたの?」
今日は何かの記念日だっただろうか。
しばらく考えてみるものの、該当するものはない。
「何か予定を入れていたか?」
そういうと、レハトは傍から分かるほどに頬を膨らませてしまった。
ぷいとそっぽを向かれてしまう。
「もう知らない!」
「お、おい!」
機嫌を損ねてしまったらしく、レハトは踵を返し部屋から出て行ってしまった。
「今日が何の日だというのだ……?」
------------------------------------------------------------------------------
――中庭
日差しが緩やかに射しこむ。その日差しがページを柔らかに照らしている。
いつものベンチに腰を掛け本を読んでいると、どこからともなく声がしてきた。
…………かいね……
…………そだ……
この声はレハトとヴァイルのようだ。中庭で何かの視察をしているのだろうか。
「いや、それならばレハトがいる必要性はないな…… 王になったというのに、中庭をぶらついているのかあいつは……」
腰を上げ声のする方向に向かう。近付くにすれ徐々に声が鮮明に聞き取れるようになる。
「ん、柔らかい」
「くすぐったいよ……」
……不穏な何かを感じたのは私だけだろうか。
「あ、逃げるなよー!ほらっ」
「ちょ、ちょっと…… や、くすぐったいって!ヴァ、ヴァイル!」
まず、何が起こっているか整理しようではないか。
ああそうだ慌てるな。相手はヴァイルだぞ?間違ってもそんなこと――
「ひぁ!ふ、服の中に入らな…… ひゃぁあああ!」
あった。
などと冷静に考えている場合ではなくて。
ヴァイルが?レハトに?何を?服の、中?
「何が起きているとい……」
直後に見たことを後悔した。端的に説明するならば。
ヴァイルが、レハトの、服の、中に、手……手?手だと?
なぜ彼女は抵抗しない?私が可笑しいのか?
それになぜ二人が抱き合う状況になった?
なぜ、なぜ彼女は抵抗しない……?
「……っ」
考えたくもない想像が頭をよぎった。振り払うようにその場を去る。
背後からは二人のやり取りが聞こえていた。
------------------------------------------------------------------------------
――タナッセの居室
「ねー?タナッセー?」
「…………なんだ」
「なんでそんなに仏頂面してるの?」
「……なんでもない」
つい先ほど見た光景など、まるでなかったようにレハトは振る舞う。
それ程までに隠したいことなのか。それとも……
「変なタナッセ。あ、そうだ。それで思い出してくれた?」
「なんのことだ」
「まだ思い出せないの?今日が何の日か!」
またか。何かの記念日でもないし、王就任を祝う日でもない。
誕生日は皆数え年であるので関係ない。一体なんだというのだ。
「知らん。もういいだろう」
「もういいって…… そんな風に考えてたの?」
いい加減面倒になってきた。
先刻のこともあり、言葉も自然と荒立っていた。
「一体なんだと言うんだ!下らない妄言に私を巻き込むな!」
発言した直後に失敗したと思った。
レハトは視線を伏せ、おずおずと言葉を紡いだ。
「あ、ご、ごめんなさい…… タナッセ本当は嫌だったんだね。ご、ごめんね、私別に……そ……」
「レハ……」
「ごめん、ね。お部屋戻ってるね」
そういい彼女は出て行ってしまった。
「どうしてこういつも、一言余計なんだろうな……私は……」
------------------------------------------------------------------------------
それからというもの、私とレハトは疎遠が続いた。
お互い必要があれば喋るし、悪態を吐くこともなかった。
だが確実に溝は深まっていく。
会わない時間が、触れない期間が増えていく。
罪悪感と、彼女への持ちたくもない猜疑心に苛まれどうすればいいのか分からない。
まるで心に鉛が溜まっていくようだった。
レハトはというと、私と話す機会が減ってからは頻繁にヴァイルと会っているようだ。
二人が会って何を話しているのか、どうしているのか。私には知る由もない。
彼女を疑いたくはなかった。だが、私の心は驚くほどに脆く薄い張りぼてでしかない。
信じようとすればするほど、彼女への想いから心が押しつぶされそうになる。
レハトの本音と建前を疑い続けなければならない。
ヴァイルの行動の意味を、レハトとの関係を疑い続けなければならない。
そして、己の本心さえも。心のどこかでは思っているのだ。
この方が、レハトのためになるのではないか、と。
私は…………
【選択肢: 不安になった・ 奪い取る】
------------------------------------------------------------------------------
不安だった。
レハトがヴァイルにとられるのではないかと。彼女が私から離れるのではないかと。
私にとって、彼女は手放せない程に大きな存在となっている。
レハトは私のことをどう思っているのだろうか。
私と同じように、好いてくれているのだろうか。
私はどうすればいいのか分からなかった。
――中庭
「レハト……」
久しぶりにレハトと顔を合わせた。
会ったことは全くの偶然だった。
中庭で本を読もうと思い、いつもの場所に向かうと彼女が腰掛けていたのだ。
「……タナッセ、なんか久しぶりだね」
「ああ、そうだな……」
互いの会話が途切れてしまう。
なんとか会話を繋げようとするものの、一向に言葉が出てこない。
「私ね」
必死に言葉を探していると、彼女がそう呟いた。
「ここ、好きよ。静かで、落ちつけて…… とっても綺麗だし」
「ああ……」
「でもね」
そう言ってこちらを向いた彼女は、笑っていた。
「私の心は曇り空、お花も全部枯れちゃった」
「…………」
「一輪一輪大切にしてたのにな。茶色になって、枯れちゃった」
「雨って、降り過ぎちゃダメなんだね。折角神様の……お恵みなのに……」
レハトの声は段々と小さくなる。肩が震えているのに気付き、胸が痛んだ。
花や雨というのは、比喩だろう。恐らく彼女の心の。
「お前は、ここが好きなのか」
「うん」
「ならば……ならば、私のことはどう思っている」
レハトの瞳が驚きで見開かれたのが分かった。
己の言ったことに対し、よく分からない感情が込み上げてくる。
彼女が私を拒絶したら自分はどうなるのだろうか。
また彼女に暴言を言うのではないか。この胸が張り裂けて死んでしまうのではないか。
拒絶されることが恐ろしかった。なのに、確認せずにはいられなかった。
------------------------------------------------------------------------------
辛抱強く言葉を待っていると、彼女が口を開いた。
「……嫌い」
「あ……そ、そう、か。すまなか……っ」
胸が痛い。苦しい。一気に感情が溢れ出すのが分かる。
自分は我儘だ。これではまるで子供ではないか。
ああ、そうだ、私は。彼女を失いたくない。傍にいてほしい。
こんなにも愛しているのに。彼女は私を、もう。
「い……やだ」
「タナッセ?」
「すま、ない。レハト。私は、私はお前を失いたくはない。お前に、そ……」
まさか自分が嗚咽を漏らすことになるとは思わなかった。
込み上げた感情は止められない。溢れる涙の止め方も知らない。
失いたくない。傍にいてほしい。そんな情けない言葉がぼろぼろと出てくる。
「頼む、どこにも、どこにも行かないでくれ……」
矜持や羞恥などこの際どうでもよい。ただ私は。
「馬鹿ね」
そうだ、私は馬鹿だ。
しかし、私が想像した『馬鹿』とは違う答えが返ってきた。
「タナッセを置いて勝手にどこかに行ったりしないわよ」
「な……だ、だが……」
「それに、嫌いに……嫌いになれる訳ないじゃない…… 馬鹿ね……」
そう言われ抱きしめられる。全く情けない。男の貫録一つもありはしない。
それでもまた触れる事が出来て嬉しかった。温もりが心地よかった。
------------------------------------------------------------------------------
「お前は、お前はヴァイルが好きなのではないのか」
「ヴァイル……?確かに好きだけど、友達的な意味ってことよね?」
「そ、の、恋愛的な意味でだ」
あからさまに困惑の表情をされた。ちょっと待て。
「えーと、私がヴァイルに恋愛感情を抱いてるかってこと?私が好きなのはタナッセだよ……?」
「だ、だが以前……中庭で、だ、抱き合っていたではないか……」
「え?だ、抱き?いつ?うーん?」
まさか。私の。
「あ、もしかして。あれかな、ヴァイルが私の服に手入れてたやつ?」
「…………」
「あれね、猫触ってたのよ」
「ね、こ?」
あの時の会話をもう一度思い出す。
――――ん、柔らかい――――
――――くすぐったいよ……――――
――――あ、逃げるなよー!ほらっ――――
ああ、これは……
「猫を……触って……それで…… ああ、服に猫が入ったのか……」
「だからと言って、何も服に……男性の手を…… お前は女性だろうに」
「や、ちょっと焦っちゃって。爪で引っかかれると嫌だったし」
全て。私の。一方的な。勘違い。ああ……
「穴があったら入りたい……」
「そんなに落ち込まないでよ。でも泣くほど想ってくれたんでしょ?嬉しいよ」
「う………… だ、誰にも言うなよ。こんなことヴァイルに知られでもしたら……」
言わないわよ、と笑顔でレハトが言う。
その笑顔は晴れ渡る春の日差しよりも暖かだった。
「……そういえば、あの時は何の日だったのだ……?」
「本当に忘れてるんだね…… デートの約束だったのに……」
「……私は本当に最低な男だな…… すまなかった……」
その日はあの時のお詫びにと、とことんレハトに付き合ったのだった。
------------------------------------------------------------------------------
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------------------------------------------------------------------------------
もう我慢ができなかった。
やはり、彼女が取られる様を見ていることなどできない。
だったら、だったら私が奪ってしまえばいい。彼女のすべてを。
ずっと傍にいられるように。いつでも見ていられるように。
そうだ、元からそうすればよかったのだ。
そうすればもう不安にならなくても良いのだから。
――タナッセの居室
「話ってなに?タナッセ」
レハトを私の部屋に通すのはいつ振りだろうか。随分と長い間会っていなかった気がしてくる。
だがもう問題はない。これからはずっとそばにいられるのだから。
「まずは椅子に腰かけてくれ。饗応もなしと思われては心外だからな」
まるで儀式を行う前のようだと思った。あの時は睡眠薬を混入、だったか。
無論、今レハトの眼前にある蒸留酒には睡眠薬など入っていない。
入れる必要もないのだから。
開け放った窓から入り込んだ生温い風が、レハトの側を吹き抜け髪を揺らした。
「ん、美味しいねこれ。はちみつ入ってる?」
「その方が飲みやすいだろう。お前は成人したばかりなのだし」
疎遠になっていたとは思えないほどに会話が弾む。これは喜び、いや悦びからだろうか。
「で、話って?」
「ああ、それは……」
そう言い席を立ち上がる。レハトが一瞬訝しげな視線を寄越した。
自室の扉に向かい、ノブに手を掛ける。
「二度と、離れないように」
「え?」
扉を施錠した音が思いの外大きく部屋の中に響いた。
部屋からは侍従を追い出し、外には衛士……モルを置いた。
彼女は私の許可なしにこの部屋から逃げることはできない。
「お前を私の監視下に置くこととした」
「な、なに言ってるのタナッセ?冗談だよね?」
困惑気味な言葉を無視し、彼女に近付く。自分の心が妙に冷たく冷めていくのを自覚した。
「タナッセ……?」
「あいつに…… ヴァイルなどに渡すものか……」
「ヴァ……?な、なにを」
愛している。愛しているからこそ誰にも譲りたくない。渡したくない。離れたくない。
行きすぎた愛は心を冷やし凍らせた。二度と離れないように。冷たい愛で縛るしかなかった。
「ひゃっ…… 手、手冷たい!」
「そんなに驚くほど冷たい訳がないだろう。死人でもあるまいし」
そっと頬をなぞる様に触れる。白く温かい肌の感触が指に伝わる。
そのまま引き寄せ唇を重ねると、柔らかな温もりが肌に残った。
------------------------------------------------------------------------------
唇を離すと、目を見開いて驚くレハトの顔が見えた。
何を今更、とも思ったが言わないでおく。
「タ、にゃ」
「にゃ?」
うまく発音できていない。顔を真っ赤にしたまま俯いてしまう。
が、そんなことでやめると思ったら大間違いだ。
「ヴァイルと会っていたな…… いや、会うだけならば別に構わん。……構わなかった」
「なにが……」
「お前たちは会って何をしていたのだ?密会か?私を陰で笑っていたか?」
「ねぇ何のこと?タナ」
言い訳なぞ聞きたくなかった。自然に手が出てレハトの襟首を持つ形になる。
「私は、私はお前が愛おしい。あの時なぜ殺そうとしたのか今では分からない」
「く、苦しいよ……」
「お前は私のことをどう思っている?」
疑いたくないと思いながらも、疑わざるを得ない。自分の心が軋んでいくのが分かる。
肌を気持ちの悪い風が掠めて行く。
彼女の答えを私は聞けるだろうか。受け止められるだろうか。
最悪の結末ばかりを考え、心が重くなる。体が重くなる。
耐えられない。耐え切れない。
「……失いたくない。だとしたら、私はどうすればいいのだろうな」
首から肩に手を移す。腕に力を掛けると、レハトの体はいとも簡単に床に崩れた。
どうすればいいのか。とても簡単なことだ。
「全て奪ってしまえばいい。誰かに奪われる前に」
レハトの不安に満ちた顔が見えた。
------------------------------------------------------------------------------
後のことはよく覚えていない。
自分が何をしたのか、彼女がどうなったのか。
ただ嫌だと泣き叫ぶレハトがいたような気がする。
まるで、ガラスケースの外から何かを眺めるように。
私と彼女の間には、決して超えることの出来ない壁が出来てしまった。
手を伸ばせば届きそうな程薄い壁なのに、決して触れることはできない。
いつも隣には彼女がいるというのに、心に靄がかかったように何の感情も湧いてこない。
彼女も、私も。
いつから笑わなくなったのだろう。
レハトは私の妻となり、私は彼女の夫となった。
ただそれだけだ。他には何もない。
……地位や名誉には元から執着など欠片もなかった。
だが、欲しかったはずの居場所も幸福も。その全てをどこかへ置いてきてしまった。
もしすぐ傍に居場所があろうと幸福があろうと、私も彼女ももう気付くことさえできないだろう。
私は彼女を愛している。偽りでも誤魔化しでもなく。
彼女もまた、私を…… 私を愛してくれていただろうか。
誰よりも近くにいながらも、誰よりも離れている私と彼女は。
二度と交わることのない平行線なのだろう。
「早く支度をしろ」
「そんなに急かさないでよ」
私と彼女は手を繋ぐ。互いの温もりが肌に伝わる。
声を掛ければ返事をし、話題を振られればそれに答える。
そんな、当たり前の非日常。
差し出したその手が、空気を掴むことはない。
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「……ッセ」
どこからか声がする。
「……ッセ……てば……」
誰だ?
「もう、タナッセってば!!」
突然耳を劈くような怒声が響いた。
耳を押さえながら飛び起きると、眼前に仏頂面をしたレハトが立っていた。
「何回起こしたと思ってるの?最近弛みがちなんじゃないの!」
瞬間的に状況が判断できず面を食らう。
どうやら椅子に腰を掛けている内に寝入ってしまったらしい。
「あ、ああすまないな…… しかしそんなに大声を張り上げなくともよかろう」
「まさか今日が何の日か忘れたの?」
今日は何かの記念日だっただろうか。
しばらく考えてみるものの、該当するものはない。
「何か予定を入れていたか?」
そういうと、レハトは傍から分かるほどに頬を膨らませてしまった。
ぷいとそっぽを向かれてしまう。
「もう知らない!」
「お、おい!」
機嫌を損ねてしまったらしく、レハトは踵を返し部屋から出て行ってしまった。
「今日が何の日だというのだ……?」
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――中庭
日差しが緩やかに射しこむ。その日差しがページを柔らかに照らしている。
いつものベンチに腰を掛け本を読んでいると、どこからともなく声がしてきた。
…………かいね……
…………そだ……
この声はレハトとヴァイルのようだ。中庭で何かの視察をしているのだろうか。
「いや、それならばレハトがいる必要性はないな…… 王になったというのに、中庭をぶらついているのかあいつは……」
腰を上げ声のする方向に向かう。近付くにすれ徐々に声が鮮明に聞き取れるようになる。
「ん、柔らかい」
「くすぐったいよ……」
……不穏な何かを感じたのは私だけだろうか。
「あ、逃げるなよー!ほらっ」
「ちょ、ちょっと…… や、くすぐったいって!ヴァ、ヴァイル!」
まず、何が起こっているか整理しようではないか。
ああそうだ慌てるな。相手はヴァイルだぞ?間違ってもそんなこと――
「ひぁ!ふ、服の中に入らな…… ひゃぁあああ!」
あった。
などと冷静に考えている場合ではなくて。
ヴァイルが?レハトに?何を?服の、中?
「何が起きているとい……」
直後に見たことを後悔した。端的に説明するならば。
ヴァイルが、レハトの、服の、中に、手……手?手だと?
なぜ彼女は抵抗しない?私が可笑しいのか?
それになぜ二人が抱き合う状況になった?
なぜ、なぜ彼女は抵抗しない……?
「……っ」
考えたくもない想像が頭をよぎった。振り払うようにその場を去る。
背後からは二人のやり取りが聞こえていた。
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――タナッセの居室
「ねー?タナッセー?」
「…………なんだ」
「なんでそんなに仏頂面してるの?」
「……なんでもない」
つい先ほど見た光景など、まるでなかったようにレハトは振る舞う。
それ程までに隠したいことなのか。それとも……
「変なタナッセ。あ、そうだ。それで思い出してくれた?」
「なんのことだ」
「まだ思い出せないの?今日が何の日か!」
またか。何かの記念日でもないし、王就任を祝う日でもない。
誕生日は皆数え年であるので関係ない。一体なんだというのだ。
「知らん。もういいだろう」
「もういいって…… そんな風に考えてたの?」
いい加減面倒になってきた。
先刻のこともあり、言葉も自然と荒立っていた。
「一体なんだと言うんだ!下らない妄言に私を巻き込むな!」
発言した直後に失敗したと思った。
レハトは視線を伏せ、おずおずと言葉を紡いだ。
「あ、ご、ごめんなさい…… タナッセ本当は嫌だったんだね。ご、ごめんね、私別に……そ……」
「レハ……」
「ごめん、ね。お部屋戻ってるね」
そういい彼女は出て行ってしまった。
「どうしてこういつも、一言余計なんだろうな……私は……」
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それからというもの、私とレハトは疎遠が続いた。
お互い必要があれば喋るし、悪態を吐くこともなかった。
だが確実に溝は深まっていく。
会わない時間が、触れない期間が増えていく。
罪悪感と、彼女への持ちたくもない猜疑心に苛まれどうすればいいのか分からない。
まるで心に鉛が溜まっていくようだった。
レハトはというと、私と話す機会が減ってからは頻繁にヴァイルと会っているようだ。
二人が会って何を話しているのか、どうしているのか。私には知る由もない。
彼女を疑いたくはなかった。だが、私の心は驚くほどに脆く薄い張りぼてでしかない。
信じようとすればするほど、彼女への想いから心が押しつぶされそうになる。
レハトの本音と建前を疑い続けなければならない。
ヴァイルの行動の意味を、レハトとの関係を疑い続けなければならない。
そして、己の本心さえも。心のどこかでは思っているのだ。
この方が、レハトのためになるのではないか、と。
私は…………
【選択肢: 不安になった・ 奪い取る】
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不安だった。
レハトがヴァイルにとられるのではないかと。彼女が私から離れるのではないかと。
私にとって、彼女は手放せない程に大きな存在となっている。
レハトは私のことをどう思っているのだろうか。
私と同じように、好いてくれているのだろうか。
私はどうすればいいのか分からなかった。
――中庭
「レハト……」
久しぶりにレハトと顔を合わせた。
会ったことは全くの偶然だった。
中庭で本を読もうと思い、いつもの場所に向かうと彼女が腰掛けていたのだ。
「……タナッセ、なんか久しぶりだね」
「ああ、そうだな……」
互いの会話が途切れてしまう。
なんとか会話を繋げようとするものの、一向に言葉が出てこない。
「私ね」
必死に言葉を探していると、彼女がそう呟いた。
「ここ、好きよ。静かで、落ちつけて…… とっても綺麗だし」
「ああ……」
「でもね」
そう言ってこちらを向いた彼女は、笑っていた。
「私の心は曇り空、お花も全部枯れちゃった」
「…………」
「一輪一輪大切にしてたのにな。茶色になって、枯れちゃった」
「雨って、降り過ぎちゃダメなんだね。折角神様の……お恵みなのに……」
レハトの声は段々と小さくなる。肩が震えているのに気付き、胸が痛んだ。
花や雨というのは、比喩だろう。恐らく彼女の心の。
「お前は、ここが好きなのか」
「うん」
「ならば……ならば、私のことはどう思っている」
レハトの瞳が驚きで見開かれたのが分かった。
己の言ったことに対し、よく分からない感情が込み上げてくる。
彼女が私を拒絶したら自分はどうなるのだろうか。
また彼女に暴言を言うのではないか。この胸が張り裂けて死んでしまうのではないか。
拒絶されることが恐ろしかった。なのに、確認せずにはいられなかった。
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辛抱強く言葉を待っていると、彼女が口を開いた。
「……嫌い」
「あ……そ、そう、か。すまなか……っ」
胸が痛い。苦しい。一気に感情が溢れ出すのが分かる。
自分は我儘だ。これではまるで子供ではないか。
ああ、そうだ、私は。彼女を失いたくない。傍にいてほしい。
こんなにも愛しているのに。彼女は私を、もう。
「い……やだ」
「タナッセ?」
「すま、ない。レハト。私は、私はお前を失いたくはない。お前に、そ……」
まさか自分が嗚咽を漏らすことになるとは思わなかった。
込み上げた感情は止められない。溢れる涙の止め方も知らない。
失いたくない。傍にいてほしい。そんな情けない言葉がぼろぼろと出てくる。
「頼む、どこにも、どこにも行かないでくれ……」
矜持や羞恥などこの際どうでもよい。ただ私は。
「馬鹿ね」
そうだ、私は馬鹿だ。
しかし、私が想像した『馬鹿』とは違う答えが返ってきた。
「タナッセを置いて勝手にどこかに行ったりしないわよ」
「な……だ、だが……」
「それに、嫌いに……嫌いになれる訳ないじゃない…… 馬鹿ね……」
そう言われ抱きしめられる。全く情けない。男の貫録一つもありはしない。
それでもまた触れる事が出来て嬉しかった。温もりが心地よかった。
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「お前は、お前はヴァイルが好きなのではないのか」
「ヴァイル……?確かに好きだけど、友達的な意味ってことよね?」
「そ、の、恋愛的な意味でだ」
あからさまに困惑の表情をされた。ちょっと待て。
「えーと、私がヴァイルに恋愛感情を抱いてるかってこと?私が好きなのはタナッセだよ……?」
「だ、だが以前……中庭で、だ、抱き合っていたではないか……」
「え?だ、抱き?いつ?うーん?」
まさか。私の。
「あ、もしかして。あれかな、ヴァイルが私の服に手入れてたやつ?」
「…………」
「あれね、猫触ってたのよ」
「ね、こ?」
あの時の会話をもう一度思い出す。
――――ん、柔らかい――――
――――くすぐったいよ……――――
――――あ、逃げるなよー!ほらっ――――
ああ、これは……
「猫を……触って……それで…… ああ、服に猫が入ったのか……」
「だからと言って、何も服に……男性の手を…… お前は女性だろうに」
「や、ちょっと焦っちゃって。爪で引っかかれると嫌だったし」
全て。私の。一方的な。勘違い。ああ……
「穴があったら入りたい……」
「そんなに落ち込まないでよ。でも泣くほど想ってくれたんでしょ?嬉しいよ」
「う………… だ、誰にも言うなよ。こんなことヴァイルに知られでもしたら……」
言わないわよ、と笑顔でレハトが言う。
その笑顔は晴れ渡る春の日差しよりも暖かだった。
「……そういえば、あの時は何の日だったのだ……?」
「本当に忘れてるんだね…… デートの約束だったのに……」
「……私は本当に最低な男だな…… すまなかった……」
その日はあの時のお詫びにと、とことんレハトに付き合ったのだった。
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選択肢に戻る
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もう我慢ができなかった。
やはり、彼女が取られる様を見ていることなどできない。
だったら、だったら私が奪ってしまえばいい。彼女のすべてを。
ずっと傍にいられるように。いつでも見ていられるように。
そうだ、元からそうすればよかったのだ。
そうすればもう不安にならなくても良いのだから。
――タナッセの居室
「話ってなに?タナッセ」
レハトを私の部屋に通すのはいつ振りだろうか。随分と長い間会っていなかった気がしてくる。
だがもう問題はない。これからはずっとそばにいられるのだから。
「まずは椅子に腰かけてくれ。饗応もなしと思われては心外だからな」
まるで儀式を行う前のようだと思った。あの時は睡眠薬を混入、だったか。
無論、今レハトの眼前にある蒸留酒には睡眠薬など入っていない。
入れる必要もないのだから。
開け放った窓から入り込んだ生温い風が、レハトの側を吹き抜け髪を揺らした。
「ん、美味しいねこれ。はちみつ入ってる?」
「その方が飲みやすいだろう。お前は成人したばかりなのだし」
疎遠になっていたとは思えないほどに会話が弾む。これは喜び、いや悦びからだろうか。
「で、話って?」
「ああ、それは……」
そう言い席を立ち上がる。レハトが一瞬訝しげな視線を寄越した。
自室の扉に向かい、ノブに手を掛ける。
「二度と、離れないように」
「え?」
扉を施錠した音が思いの外大きく部屋の中に響いた。
部屋からは侍従を追い出し、外には衛士……モルを置いた。
彼女は私の許可なしにこの部屋から逃げることはできない。
「お前を私の監視下に置くこととした」
「な、なに言ってるのタナッセ?冗談だよね?」
困惑気味な言葉を無視し、彼女に近付く。自分の心が妙に冷たく冷めていくのを自覚した。
「タナッセ……?」
「あいつに…… ヴァイルなどに渡すものか……」
「ヴァ……?な、なにを」
愛している。愛しているからこそ誰にも譲りたくない。渡したくない。離れたくない。
行きすぎた愛は心を冷やし凍らせた。二度と離れないように。冷たい愛で縛るしかなかった。
「ひゃっ…… 手、手冷たい!」
「そんなに驚くほど冷たい訳がないだろう。死人でもあるまいし」
そっと頬をなぞる様に触れる。白く温かい肌の感触が指に伝わる。
そのまま引き寄せ唇を重ねると、柔らかな温もりが肌に残った。
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唇を離すと、目を見開いて驚くレハトの顔が見えた。
何を今更、とも思ったが言わないでおく。
「タ、にゃ」
「にゃ?」
うまく発音できていない。顔を真っ赤にしたまま俯いてしまう。
が、そんなことでやめると思ったら大間違いだ。
「ヴァイルと会っていたな…… いや、会うだけならば別に構わん。……構わなかった」
「なにが……」
「お前たちは会って何をしていたのだ?密会か?私を陰で笑っていたか?」
「ねぇ何のこと?タナ」
言い訳なぞ聞きたくなかった。自然に手が出てレハトの襟首を持つ形になる。
「私は、私はお前が愛おしい。あの時なぜ殺そうとしたのか今では分からない」
「く、苦しいよ……」
「お前は私のことをどう思っている?」
疑いたくないと思いながらも、疑わざるを得ない。自分の心が軋んでいくのが分かる。
肌を気持ちの悪い風が掠めて行く。
彼女の答えを私は聞けるだろうか。受け止められるだろうか。
最悪の結末ばかりを考え、心が重くなる。体が重くなる。
耐えられない。耐え切れない。
「……失いたくない。だとしたら、私はどうすればいいのだろうな」
首から肩に手を移す。腕に力を掛けると、レハトの体はいとも簡単に床に崩れた。
どうすればいいのか。とても簡単なことだ。
「全て奪ってしまえばいい。誰かに奪われる前に」
レハトの不安に満ちた顔が見えた。
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後のことはよく覚えていない。
自分が何をしたのか、彼女がどうなったのか。
ただ嫌だと泣き叫ぶレハトがいたような気がする。
まるで、ガラスケースの外から何かを眺めるように。
私と彼女の間には、決して超えることの出来ない壁が出来てしまった。
手を伸ばせば届きそうな程薄い壁なのに、決して触れることはできない。
いつも隣には彼女がいるというのに、心に靄がかかったように何の感情も湧いてこない。
彼女も、私も。
いつから笑わなくなったのだろう。
レハトは私の妻となり、私は彼女の夫となった。
ただそれだけだ。他には何もない。
……地位や名誉には元から執着など欠片もなかった。
だが、欲しかったはずの居場所も幸福も。その全てをどこかへ置いてきてしまった。
もしすぐ傍に居場所があろうと幸福があろうと、私も彼女ももう気付くことさえできないだろう。
私は彼女を愛している。偽りでも誤魔化しでもなく。
彼女もまた、私を…… 私を愛してくれていただろうか。
誰よりも近くにいながらも、誰よりも離れている私と彼女は。
二度と交わることのない平行線なのだろう。
「早く支度をしろ」
「そんなに急かさないでよ」
私と彼女は手を繋ぐ。互いの温もりが肌に伝わる。
声を掛ければ返事をし、話題を振られればそれに答える。
そんな、当たり前の非日常。
差し出したその手が、空気を掴むことはない。
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選択肢に戻る 2012.6.3